こんなん知ってまっかぁ?

兜塚古墳(桜井市)の前方部と後円部が逆?!(2022.11.29)

 阿蘇ピンク石石棺を持つ古墳として知られる前方後円墳ですが、10月頃、協力させてもらっている桜井市観光協会の古墳ツァー用のリーフレットを作成中に、参考資料の中に前方部が西向きとなっているものと、東向きになっているものがある事に気が付き桜井市教育委員会に確認しました。正しくは前方部を東に向けているが正解です。従って、阿蘇ピンク石石棺がある方は前方部という事になります。殆どの方が石棺のある方が後円部と思われてたと思うのですが(私もそうでした)2019年の奈良新聞の「大和古墳散歩」兜塚古墳という記事でも「埋葬施設は後円部・・・」となっていました。これは平成11~12年頃に桜井市教育委員会が測量調査した結果、等高線からわかったという事です。(私の動画も間違っています・後日修正予定)

明日香のカナゾカ古墳の石材発見!(2022.9.3)

先日(2022年9月)の訪問時、墳丘北側で写真のような石材を見つけました。行かれた際は是非ご覧ください。玄室の奥壁?側壁?天井石?の一部が見えてるだけですがそれでも、なんか嬉しくなりました。宮内庁管理(陪塚)なので発掘は出来ませんが岩屋山式の横穴式石室という事が、過去の記録からわかっています。

被葬者の最有力候補の吉備姫王は茅渟王(平野塚穴山古墳が有力)の妃で、斉明天皇の母親です。しかし此の場所に岩屋山古墳タイプがあったとは。


これ、何古墳かわかりますかぁ?

天井石と奥壁(北東から)
天井石と奥壁(北東から)
天井石と奥壁(北西から)
天井石と奥壁(北西から)

わかりませんよね。そういう私もついこの間まで知りませんでした。正解は国史跡の平野塚穴山古墳です。このHP用の動画をつくる際に参考文献をさがしててこの写真見つけました。その本には調査の契機として昭和47年4月、高松塚ブームがさめやらぬ時に石槨内部が盗掘され、攪乱された土中に夾紵棺片が多数含まれることから、緊急調査が行われたとありました。この写真は当時のものですが石槨の天井石、北、西壁が露出した状態で墳丘裾も民家や寺院、墓地などで削り取られ瀕死の重傷だったようです。今の整備方法は必ずしも満足のできるものではないのですが当時のこの写真を見てからは、少しは納得しています。

 

ところで誰が盗掘したかなんですが、好奇心にはやった近くに住む高校生が掘り起こしたもので、同君にとっては開口している石槨の堆積土を軽い気持ちで運び出したようですが、この土中に夾紵棺片が多数あり、あたり一面に散乱し大騒ぎになったようです。

・写真は竜田御坊山古墳 付平野塚穴山古墳(橿原考古学研究所)より引用

桜井茶臼山古墳のこと

外山(とび)茶臼山古墳とも言われます。大王墓クラスの古墳でありながら自由に墳丘に上れます。と言っても実際、熊笹が背丈以上に生い茂り古墳ツァーがある時、後円部の通り道だけ数人で数日かかって熊笹刈りをしていました。(私もツァーの関係者だったので、ほとんど参加しましたが・・・それはそれは大変な作業でしたが皆さんに大変喜んでいただけました)前置きが長くなりました。今、楽に上れます。しかもここ数年絶対無理な前方部まで行けます。未確認情報によりますと橿原考古学研究所が前方部にも埋葬施設があるか調査する為、刈られたとか(発掘ではなく探査と思いますが)後円部まで刈られているのは後円部の副室の探査かな?と個人的には思っています。1~2年は大丈夫と思うんですが今なら本来の桜井茶臼山古墳を実感できます。是非どうぞ!(箸墓もはっきり見ることが出来ます。)

森貝2号墳の穴加工?(桜井市)

 探すのが大変な難関古墳のひとつですが、2022.5.1の当Team赤坂のツアーで皆さんをご案内しました。尾根の斜面を下ると、背面カットされ掘割が周る2号墳があります。無袖式石室の石材は平滑面を表に向け構築されています。私も過去何度か来ているのですが、発見がありました。足から石室の開口部に入られた女性が、天井石の穴加工を発見されたのです。開口部から2枚目の天井石だけが少し下がってるんですが、この天井石に奥壁側の側壁付近に対向するところに穴加工が2つ、さらに開口部寄りの奥壁から見て右壁付近に穴が一つあるのを見つけられました。床面がどうなってるかわからないので、確定は出来ませんが閉塞用の扉状のものがあっと考えられます。こういうものが、こんな場所にあるとは驚きでした。(後日、桜井市教育委員会に確認予定)

イノラムキ古墳(東大阪市)

大和の古墳では、ありませんが東大阪市の石切駅の北方尾根上、標高360mを測る尾根の先端に位置する終末期古墳です。探し難い難関古墳としてマニアに人気が高い古墳です。

 

基本的にこのHPは奈良県内の古墳に限っていますが、個人的におすすめだという古墳に限り断続的にアップします。

鬼のまな板、雪隠古墳の謎

発見された床石
発見された床石
鬼のまな板(西槨の底石)
鬼のまな板(西槨の底石)

図は明日香風 今城谷の合葬墓(西光慎治)を加筆し引用
図は明日香風 今城谷の合葬墓(西光慎治)を加筆し引用

  鬼の俎板の東9mの隣接地の畑から鬼の俎板と同様の横口式石槨タイプの底石が明治10年代に発見されています。短冊形に5分割され畑の持ち主宅に持ち帰られ、延石となっていましたが、現在は橿原考古学研究所付属博物館で保存されています。この事から鬼の俎板・雪隠古墳は双墓と考えられてきましたが、築造規格などから 別の古墳ではなく、長方形墳の双室墳だった可能性を指摘されています。


巨大古墳 大きさランキング

 全長200m以上の古墳を一般的に「巨大古墳」と呼んでいますが、わが国で41基あります。都道府県別にみてみると世界遺産を持つ大阪府が一番多いのかな?と思うんですが・・・

(1位)奈良県・21基 (2位)大阪府・15基 (3位)岡山県・3基 (4位)京都府と群馬県・1基づつ

となります。堺市HPより引用(数字は全長)

1 仁徳陵(大山古墳)486大阪府

2 応神陵(誉田御廟山古墳)425大阪府

3 履中陵(石津ヶ丘古墳)365大阪府

4 造山古墳 350 岡山県

5 河内大塚山古墳 335 大阪府

6 五条野丸山古墳 310 奈良県

7 ニサンザイ古墳 300 大阪府

8 景行陵(渋谷向山古墳)300奈良県

9 仲姫命陵(仲津山古墳)290大阪府

10 作山古墳 286 岡山県

11 箸墓古墳 280 奈良県

12 神功陵(五社神古墳)275奈良県

13 ウワナベ古墳 255 奈良県

14 平城陵(市庭古墳) 250 奈良県

14 メスリ山古墳 250 奈良県

16 仲哀陵(岡ミサンザイ)242大阪府 

16 崇神陵(行燈山古墳 242 奈良県

18 室宮山古墳 238 奈良県御所市室

19 允恭天皇陵(市野山)230大阪府

20 垂仁陵(宝来山古墳 227 奈良県

21 継体陵(太田茶臼山)226大阪府

22 墓山古墳 225 大阪府

23 巣山古墳 220 奈良県

24 磐之媛陵( ヒシアゲ)219奈良県

24 手白香陵(西殿塚)219奈良県

26 成務陵(佐紀石塚山)218奈良県

27 川合大塚山古墳 215 奈良県

28 築山古墳 210 奈良県

28 西陵古墳 210 大阪府

28 太田天神山古墳 210 群馬県

31 津堂城山古墳 208大阪府

32 桜井茶臼山古墳 207 奈良県

32日葉酢媛陵( 陵山)207奈良県

34 コナベ古墳 204 奈良県

35 御廟山古墳 203 大阪府

36 摩湯山古墳 200 大阪府

36 白鳥陵(軽里大塚)200大阪府

36 新木山古墳 200 奈良県

36 島の山古墳 200 奈良県

36 神明山古墳 200 京都府 

36両宮山古墳 200 岡山県



花山西塚古墳

 2018年頃までに、この古墳に来られた方なら、写真のように奥室の前に扉石が横たわっていたんですが、現在(2022年)は土砂で全く石扉が見えなくなっています。( 地面の色合いが若干違うので辛うじて、およその位置ぐらいはわかりますが・・・残念です)。そこで、いろいろ資料を探しまくり、本来の石扉の状態の貴重な写真が見つかりましたのでアップしました。(白黒の写真)私も初めてで、この状態を見られた方は限られた方かと思います。 1



東殿塚古墳

この古墳は下段の自然地形を長方形に整形された全長175mの基底部の上に前方後円形の墳丘が乗る特異な形状で、書物によってはこの自然地形の下段の分も考慮し、全長175mとしている資料もみられます。パッと見ではわかりにくいかも知れませんが、よく目をこらしてみてみると確かに長方形の段の上に前方後円墳が乗っかかっているのがわかるかと思います。尚、前方部西側に造り出し状の突出部(左図の緑色)があることが1996年に判明しましたが、おそらく祭祀場として用いられたと考えられ、ここから葬送の船とみられる船3隻を線刻したひれ付き埴輪などが出土しています。


市尾宮塚古墳

・斑鳩町の国史跡「藤ノ木古墳」の石棺は、かなり特徴的ですが、その特徴のひとつに棺の東側が幅が広く、また高いことが知られています。これは中期の船形石棺や長持形石棺でもこのような傾向が認められています。これは人体の最大幅は上半身の肩の部分であるという事と関係するかもしれません。しかし家形石棺では、このような傾向はむしろ特殊で家形石棺では権現堂古墳(御所市)が高さでその傾向が見受けられる(幅に変化はなし)程度です。この市尾宮塚古墳は棺身でしか全形を確認できませんが棺内の幅を見ると石室の開口部側の幅が10㎝広くなっていることがわかっています。これは奈良県内では

藤ノ木古墳と市尾宮塚古墳のみに見られる現象です。

・現在の市尾宮塚古墳の石棺は棺身も棺蓋もついた状態で見ることが出来ますが、調査前は、このように棺身だけの半壊した状態となっていました。結構、上手に復元されており、これはこれでいいにかな?と思ったりしていますが。初めて見る方は気が付かない方が大半でしょうね。