ろくどうやま

六道山古墳

 この古墳は元々、大和郡山市でも有数の大型の前方後円墳だったのですが、1974年以前に前方部が削平され、某寺院の駐車場になっていました。更に1991年9月に後円部が無断、無届による破壊工事が行なわれ、通報を聞いた市教育委員会が現地に着いた時には既に、後円部の墳丘裾が幅3~4m、高さ2~6mにわたって、剥ぎ取られて2トンダンプで土砂が運ばれているところだったのです。急遽工事をストップさせ寺院側から事情聴取するも、行政と寺側の文化財保護に対する認識の違いが浮き彫りになったようです。しかし常識的に考えても古墳と言う認識はあるはずで、寺側に非があることは明らかで、仏に仕える人たちがやることではありません。この事は当時、各新聞や文化財愛護団体から厳しい非難が寄せられ、県会でも取り上げられたものの、完全な復元は難しく、緊急の復元工事が行なわれ今に至っています。思うに、前方部が駐車場として削平された時は何故問題にならなかったのか、教育委員会の資料には触れられていませんが、その時に何らかの手が打てていれば後円部だけでも改変されずに済んだのにと思えてなりません。現状の古墳はフェンスで囲まれ、中には入れず遠巻きに眺めるだけですが、痛々しい感じさえします。いろんな事情があるにせよ、大和郡山市の古墳は小泉大塚古墳など、近年に破壊されるものが多いのが残念です。 

おすすめ度(☆2.0)

★所在地:大和郡山市小泉町字六道

★墳形:前方後円墳、(復元長)全長約100m、後円部径約75m、高さ約14m、 前方部幅約50m、高さ約6m 。前方部を西北面に向ける。埴輪は認められるが葺石はなし。周濠は無いが墳丘周囲に馬蹄形のテラス面を持つ。但し現状は前方部は削平され駐車場となっています。

★埋葬施設:不明

★副葬品:不明

★築造年代:5世紀末~6世紀初頭(TK47型式の須恵器が出土)

★発掘調査:1991年、宗教法人の某寺院の無断、無届による破壊工事を受け緊急実施。(発掘調査と言うよりも現状の破壊の程度を調べる調査と言うべきか・・・)

★被葬者:不明 

 

【参考文献】

・六道山古墳Ⅰ 第2次緊急発掘調査報告書(1992年)

・日本の古代遺跡 奈良北部(中井一夫氏)

・大和国古墳墓取調書(野淵龍潜)

 

大和国古墳墓取調書には「添下群片桐村大字小泉第千五百拾四番地字六道 古墳墓反別六畝廿五歩 官有地」とあり、「官林」「高三間半 根廻五十五間」記されています。高三間半は約6.3m、根廻五十五間は99m、六畝廿五歩は約800㎡に換算されます。

 

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