ぬかたべきつねづか

額田部狐塚古墳

 郡山市の昭和工業団地造成時、計画道路が墳丘と交錯する為1966年に緊急調査された古墳です。調査時、後円部の南北に同時埋葬とみられる組合せ式木棺が2基検出されています。棺内は整然と着装した状態であったことが副葬品の位置関係からわかっています。低地にある古墳として希少価値が高く、関係者の努力で、辛うじて道路下に残された古墳です。しかしこれを古墳と気づく人は誰もいないかもしれません。せめて解説板ぐらいは設置して。残した意義をアピールすべきと思います。今のままでは不自然に残されたというに過ぎません。

おすすめ度(☆2.5)

古地図及び墳丘図は橿考研 春季特別展「継体大王とヤマト」より引用

★所在地:大和郡山市額田部北町

★墳形:前方後円墳、全長約50m、後円部径26.5m、高さ5.2m、 前方部幅36m、高さ5.5m 。前方部を南に向け、周濠の痕跡あり。墳丘はすべて盛土。葺石及び埴輪あり。

★埋葬施設:粘土槨・組合式木棺(主軸と直交する2箇所で埋葬施設あり)2棺を合葬。

通常この時期の前方後円墳には古式の横穴式石室が導入されるが、この地域では採用が遅れるようである。

★副葬品:北側の棺から銅鏡、冠帽の破片、首飾り、純金の首飾り、直刀、挂甲、馬具。南側の棺からわずかな人骨が残り、碧玉の管玉の首飾り、銀製の耳飾があり、置かれていた遺物から北棺に男性、南棺に女性が埋葬されていたとみられている。

★築造年代:6世紀前半

★発掘調査:1966年

★被葬者:不明(検出された埴輪は、継体大王の擁立に関わったされる尾張、近江、山城、摂津地域の古墳で使われた尾張系のもので、大和では額田部狐塚古墳が初出で被葬者は継体天皇を支えた人物の可能性が考えられる。)

 

【参考文献】

・大和の古墳を語る(泉森皎氏)

・大和の古代遺跡案内(泉森皎氏)

・日本の古代遺跡 奈良北部(中井一夫氏) 

・ 松山古墳Ⅰ 第1・2次発掘調査概要報告書 大和郡山市教育委員会・・・周辺の環境

・継体天皇とヤマト(橿原考古学研究所付属博物館)

 

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