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和爾小倉谷古墳群

 白川ダムにある古墳公園に移築保存されています。移築なので当然、現在人の手が入り場所も移動されてるので、どうしても嘘っぽい感じがしますが、調査された時にすでに半壊しており移築もやむなしか・・と思ってしまいました。それでも2号墳は丁寧な造りの古墳で唯一存在感を感じます。わざわざ見に行くような古墳群ではありませんが周辺にあるハミ塚古墳岩屋大塚古墳東大寺山古墳群赤土山古墳等と合わせて探索がおすすめ。

おすすめ度(☆3.0)

★所在地:天理市和爾町小倉谷

白川ダム建設に伴い橿原考古学研究所が発掘調査を行い、3基の横穴式石室が見つかっており、現在それらの古墳は、元の位置から北西へ約120mの、古墳公園に移築保存されています。

●1号墳・・・6世紀前半に造られた径16mの円墳で、南に開口部を持つ片袖式の横穴式石室で、全長は3.3m+α。羨道部に雨水を外へ排出する排水溝も見つかっています。石室は既に天井石も無く破壊されていましたが、石室床から須恵器の杯、鉄刀、鉄鏃が出土。築造時期は2,3号墳より早く6世紀前半と考えられています。

●2号墳・・・一辺約14mの方墳で石室は全長8.5m、玄室長3.7m、幅1.7mと小倉谷古墳群では最大規模で、花崗岩を切石状にうまく加工しています。出土品は須恵器のみ。築造は7世紀前半。

●3号墳・・・一辺7mの方墳で2号墳の丁度半分の規模。羨道部は既に失われていますが全長は約5.8m。発掘時に玄室部の床が二重になっていた事が判明しており、下面が石敷き、上面が砂利敷きで、追葬時に砂利が敷かれたようです。築造は7世紀中頃、追葬は7世紀末か8世紀初め。

 

【参考文献】

・天理の古墳100(天理市教育委員会) 

・山の辺の道の遺跡を訪ねて(天理市教育委員会)  

行き方