くりづか

栗塚古墳

   もともと前方後円墳だったのですが、前方部は1960年頃の県道の道路工事で、大和天神山古墳とともに半壊されてしまいました。工事前に調査が行われ天神山古墳は調査報告書が出ていますが、この栗塚古墳に関しての資料は皆無で、立ち会ったとされる伊達氏の著書にさえ計測以外の事は書かれておらず、実態がよくわかりません。現在、墳丘は写真のように一部は畑や果樹園になっていて葺石を転用したと思われる石垣が見える程度で、墳丘に上る事もできますが、これといった見どころはありません。オーヤマト古墳群散策時にその中の一基として見る程度かなと思います。 

おすすめ度(☆3.0)

★所在地:天理市成願寺町

★墳形:前方後円墳(前方部を南西に向ける。但し現在、前方部ほとんど破壊されています)復元全長120m、後円部径70m、高さ8m、前方部幅約50m~60m。後円部東側に後円部の曲線に沿った周辺兆域的な感じが読みとれます。

★埋葬施設:不明

★出土遺物:過去に土器・管玉が出土していますが詳細不明。

★築造年代:不明

★発掘調査:測量調査のみで発掘調査は未

★被葬者:? 

 

メモ 

大和天神山古墳の調査報告書で、この古墳の話が少しだけ出ています。以下は調査報告書の内容です。(原文のまま紹介)「天理・桜井間県道改良工事は昭和34年から着手することになり、事前に県道路課からその路線について相談があった。その計画によれば、天理市成願寺町の栗塚古墳の前方部と当報告の天神山古墳とが路線上にあったので、栗塚古墳の西側と天神山古墳の東側を通るよう変更方依頼した。それを参考に奈良土木出張所で、地元と路線の交渉を重ねた結果、旧県道との取り付け口の変更があった結果、栗塚古墳の後円部を採土し、そこに路線を持ってくることになった。よって後円部の破壊は困るので、尚、東に迂回するよう依頼したのであるが、栗塚古墳と,天神山古墳との中間にある天理市中山町で、民家が相当数立ち退きの必要が生じ、相当強い反対があったため栗塚古墳の前方部を一部切断する当初案に近い計画で工事を進めなくてはならなくなり、道路課では昭和34年7月発掘届を提出、伊達が外形実測を作成する工事に立ち会った」とある。この時測量されたのが上記の墳丘図と思われます。以上のような状況で残念ながら天神山古墳も栗塚古墳も半壊されてしまいました。

 

【参考文献】

・天理の古墳100(天理市教育委員会) 

・前方後円墳集成

 

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