石上豊田古墳群(ホリノヲ支群)

 探索好きな方にとってはおすすめかもしれません。今回紹介した内、1~3号墳はそれらしいものもあったのですが、確証が持てず写真の紹介は控えました。いずれも乱掘されており、規模的にも小さい古墳群ですが、探索好きの方にとっては、この古墳群はネットでもあまり紹介されていないので、特別感があるかと思います。

おすすめ度(☆3.5)探索好きな方におすすめ!

★所在地:天理市豊田町ホリノヲ

石上・豊田古墳群は、天理市石上町・豊田町・別所町に所在する大型群集墳で豊田丘陵と呼ばれる丘陵上に総数200基以上の古墳が築造されています。中でもよく知られているのが、物部氏に関わる墳墓との可能性が高い、石上大塚古墳と、ウワナリ塚古墳で、北東端部の名阪国道の近くの丘陵上に並んで立地しています。この古墳群の背後の天理東インター周辺の丘陵上に、石上大塚古墳やウワナリ塚古墳のほか、各尾根ごとに、約130基の小円墳が、築かれその大半は横穴式石室を埋葬施設とするもので、6世紀代を中心に築造され、7世紀前半代まで続いています。出土遺物の中では、とりわけ鍛冶に関連するものが多いことが特徴で、石上・豊田古墳群の南側には、古墳時代の大型集落遺跡である布留遺跡があり、出土品などから、布留遺跡の工人集団が、石上・豊田古墳群に埋葬されたものとみられています。

 

このうちホリノヲ支群は昭和41年に名阪国道建設用に土砂が採取されるとの話があり、橿原考古学研究所で調査されています。埋葬施設は、いずれも右片袖式の横穴式石室で内部に木棺を安置していたことが鉄くぎの出土で知られています。内訳は不明ですが5基のうち、2棺合葬が2基、3棺合葬が1基、4棺合葬が1基で6世紀代に築かれ7世紀に追葬されています。

●ホリノヲ1号墳

右片袖式の南に開口する右片袖式の横穴式石室で奈良県遺跡地図では「8D-283」は径15mの円墳となっています。築造時期は6世紀中頃。石室の図面を見ると羨道部左側壁が若干残っているようですが未確認。須恵器・土師器・金環・琥珀製棗玉・碧玉製管玉・ガラス製小玉・鉄刀・鉄鏃・鉄釘・農工具(鉄鎌)・馬具などが出土しています。


●ホリノヲ2号墳 

2号墳は奈良県遺跡地図の「8D-282」に相当する径11mの円墳で墳頂部に大きな盗掘坑があり、南に開口する右片袖式の横穴式石室。鍛冶工具として、鉄鉗(かなはし)・鉄鎚(かなづち)が出土したほか、鉄鉾・鉄刀や、金環・銀環・水晶製勾玉・水晶製切子玉・天河石製勾玉が出土しています。築造時期は6世紀中頃。


●ホリノヲ3号墳 

石室図面もなく詳細は不明。奈良県遺跡地図では「8D-286」に相当する径10m前後の円墳。おそらく石材が殆ど抜かれてる可能性大。 

●ホリノヲ4号墳

奈良県遺跡地図の「8D-355」に相当する古墳で径14.5m、南に開口する右片袖式の横穴式石室です。このホリノヲ支群は6世紀前半代から造営がはじまるが4号墳はその初期に築造された。石室から鉄刀、鉄鏃などの鉄製の武器や金銅製の馬具、水晶製切子玉や須恵器が出土特に須恵器の器形としては珍しい二重はそうが出土しています。

●ホリノヲ5号墳

5号墳「8D-285」は径15mの円墳で天井石は失われているものの、比較的残りの状態は良好です。右片袖式の横穴式石室。玉、金環、刀、鏃、土師器、須恵器、釘などが出土しています。築造時期は6世紀中葉。

●ホリノヲ6号墳

6号墳「8D-284」は径14.5mで右片袖式の横穴式石室。須恵器・土師器・金環・琥珀製棗玉・埋木製棗玉・水晶製切子玉・碧玉製小玉・銀製中空玉・ガラス製木玉・鉄鏃・鉄鎌・鉄釘・方形飾金具・不明鉄製品などが出土しています。

【参考文献】

・天理の古墳100(天理市教育委員会) 

・遺物が語る大和の古墳時代(泉森皎氏・伊藤勇輔氏)

・大和の古墳を語る(泉森皎氏ほか)

・近畿の古墳文化 (泉森皎氏)

・継体天皇とヤマト(橿原考古学研究所付属博物館)

行き方 

このマップと奈良県遺跡地図(ネットで見れます。)を参考にしてください。