とよだきつねづか

豊田狐塚古墳

 2015年4月9日の現地説明会には約750人の考古学ファンがつめかけました。この古墳は明治8年の文書で江戸時代末期に盗掘され、勾玉や刀が出土したことが分かっていましたが、今回初めてその実態が明らかになったわけです。ただ心配なのは、道路の造成に伴い壊される可能性があることです。仮にそんな暴挙が行われるなら天理市がPRしている「古墳のまち天理」は一体何だったんでしょう。(近くで見つかった豊田トンド山古墳現地保存されるそうです。)

おすすめ度(☆3.0)但し調査後埋め戻し

★所在地:天理市豊田町

★墳形:天理市豊田町の集落北側の丘陵地で布留川の形成した扇状地・段丘を見下ろす高台にあり、墳形は未確定ですが直径20m程度の円墳と思われます。

★石室:両袖式横穴式石室で天井石と側壁の一部は失われていました。石室は、羨道部は一部しか調査されていないので石室の全長は不明。玄室長は約4.9m、幅(奥壁部)約2m、床面には長形30cm程度の床石を敷き詰められています。

★棺:床面に木棺跡と思われる箇所があり、少なくとも3基の木棺が置かれた可能性があります。

★出土遺物:国内製の小型鏡1面(直径9センチ)、馬具、武器、水晶製や琥珀製の玉類、50点以上の須恵器.

★築造年代:6世紀後半と考えられます。(この古墳から南に見下ろした位置にある布留遺跡が、最も繁栄していた頃の古墳時代後期)

★発掘調査:2015年(都市計画道路事業に伴う調査)現在は埋め戻されています。現地説明会は2016年4月9日に行われました。

★被葬者:立地条件や石室規模から見て布留遺跡に関わる有力な首長墓とみられます。(布留遺跡は、飛鳥時代、蘇我氏のライバルだった物部氏の本拠地の一つとされており、同氏の首長層に次ぐ有力者の可能性が高い人物と推測されます)

 

(参考)豊田狐塚古墳発掘調査現地説明会資料  天理市教育委員会文化財課  

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