ひしゃげ(いわのひめ)

ヒシャゲ古墳(磐之媛命陵)

 仁徳天皇の皇后、磐之媛命の陵に治定されている古墳です。磐之媛命陵は、かって鶯塚古墳や現在の平城天皇稜(市庭古墳)があてられてきましたが、位置と墳形が違うという事で、明治時代この古墳に治定し直されました。日本書紀によれば、仁徳天皇が八田若郎女を寵愛したため、磐之媛命の怒りが解けず難波宮に戻らなかったため、皇后陵も奈良にあるといわれています。陵墓で当然立ち入れませんが、後円部の陵墓指定外の所に、円筒埴輪の復元品や説明板があり、築造当時の姿を思いおこさせてくれます。このあたりはヒシァゲ古墳が「磐之媛命平城坂上陵」と言われるように「坂上」といい、当時の貴族たちの住宅地といわれています。なお、前方部には二重の濠が残っており、初夏には美しい菖蒲の花が咲き、いかにも女性の陵墓にふさわしい上品さと、気品を兼ね備えた感じが残る古墳です。

おすすめ度(☆3.5)

一部復元された埴輪列(レプリカ)
一部復元された埴輪列(レプリカ)

★所在地:奈良市佐紀町

★墳形:前方後円墳、全長219m、後円部径124m、高さ16.2m、前方部幅145m、高さ13.6m 。前方部を南に向ける。埴輪、葺石あり。3段築成、周濠は現状は前方部正面のみ二重周濠があるが、元々後円部まで巡っていた。かって陪塚は県下で一番多い10基あったが、3基は残念なことに戦後すぐに壊された。

★埋葬施設:不明 

★副葬品:円筒埴輪 

★築造年代:5世紀後半 

★発掘調査:未 

★被葬者:不明

 ★奈良ソムリエ検定テキスト掲載古墳

 

【参考文献】

・大和の古墳を語る(伊藤勇輔氏ほか)

・ヤマト政権の一大勢力 佐紀古墳群(今尾文昭氏)

・天皇陵古墳を歩く(今尾文昭氏)

・大和古墳めぐり(前園実知雄氏ほか)

・「天皇陵」総覧 磐之媛命陵(山川均氏)

 

行き方