げんしょう

元正天皇陵

 元正天皇陵は、奈保山西陵とも呼ばれています。第44代天皇である元正天皇の陵墓です。元正天皇は、奈良時代の女帝で、同じく女帝の元明天皇の娘です。元明天皇陵(奈保山東陵)と同じ丘陵上に立地していますが、現在は丘陵の真ん中を通る道路によって分断されています。元明天皇陵が江戸時代、現在地に治定された後に、この地が元正天皇陵とされ、幕末に修陵されました。陵墓の規模や築造時期は不明です。

おすすめ度(☆3.0)

★所在地:奈良市奈良阪町

★墳丘:山形(陵域は東西104m、南北120mで南側に拝所があります)現在は道路で分断されていますが元明陵と同じ丘陵上に位置し、自然丘陵を利用した封土は円墳状で、北部に高まりがあり、全体に松がよく残っています。奈良県遺跡地図によると、治定された領域内に1基の古墳の存在が指摘されていますが規模、概要とも不明。

★埋葬施設:不明(この陵かどうかは不明ですが、続日本紀の記述より元正天皇の墓なら火葬墓)

★出土遺物:不明

★築造年代:不明

★発掘調査:未(1986年宮内庁書陵部で境界線保護工事箇所の調査が行われたが遺物の検出はなし)

★被葬者:不明

 

メモ

元正天皇は第44代天皇で、平城遷都した奈良時代最初の天皇、元明天皇の娘です。弟、文武天皇の息子、首皇子(のちの聖武天皇)が幼少の為、母、元明天皇から譲位されました。生涯、独身で日本の女帝としては5人目で、女系での譲位はこの時だけです。715年に即位し、724年に皇太子(聖武天皇)に譲位しました。在位中に日本書紀が完成しています。748年に崩御、続日本紀には火葬から改葬までの記事が、一年半の長きにわたり記載されており、簡略的に実施された母親の元明天皇の場合と大きく異なりますが、聖武天皇の威信をかけた葬儀及び陵の造営だったのかも知れません。しかしながら中世には陵の所在は不明となり、一時コナベ古墳が元正陵に当てられた事もあったのですが、元明陵付近で発見された函石の出土地を元明陵と治定した事に合わせ、延喜式の記載を元に推定復元し、1865年この丘陵が元正陵と治定されました。

★奈良ソムリエ検定テキスト掲載古墳

 

【参考文献】

・天皇陵総覧 元正天皇陵(篠原豊一氏) 

【見学記】

 陵は石柱で囲まれ、一周することができますが、特に見るべきものはありません。陵の周辺は懐かしい感じのする田園風景が広がり、落ち着いた雰囲気のする陵です。近くの元明天皇陵とあわせて見学されることをお勧めします。

  

行き方