おおのやすまろぼ

太安萬侶墓

太安万侶は、日本最古の歴史書である『古事記』を編纂したことで知られる人物です。彼の墓は、奈良県奈良市の田原地区にあり、昭和54年に偶然発見されました。墓誌が発見されただけでも驚きですが、当時の有名人である太安万侶の墓ということで、発見当時は全国的に話題になりました。墓は、茶畑の中にあり、石室が地中に埋められています。石室内からは、太安万侶の遺骨や墓誌などが出土しました。墓誌には、太安万侶の名前や生没年などが記されており、太安万侶が実在の人物であったことが証明されました。太安万侶の墓は、奈良時代の高級官僚の埋葬方法を知る上で貴重な資料です。また、太安万侶という人物の歴史的価値も高く、一度は訪れるべき場所と言えるでしょう。 

おすすめ度(☆4.5)

★所在地:奈良市此瀬町

★発見された経緯 :1979年1月、通称トンボ山の南斜面に作られたお茶畑の改植作業中発見されました。

★埋葬施設:火葬墓(1979年の調査で判明)

墳丘は径約4.5mの円形で高さは不明。墓壙は墳丘のほぼ中央部に位置し一辺約1.7mの方形で深さは最深部で1.6m、浅い部分で0.6m。太安万侶の火葬骨を入れた木櫃は墓壙のほぼ中央に木炭に包まれて置かれていましたが、腐食し空洞となっていました。墓誌は長辺約29cm、短辺60cm、重さ約76.5グラムで純銅に近い銅板で厚さは0.5ミリから1.0ミリ。この銅板に41字の文字が刻まれていました。

★出土遺物:墓誌の他に墓誌に密着していた木櫃片、骨片に混じっていた真珠、漆喰片が見つかっています。

★築造年代:墓誌には723年に死去と記載されています。

★発掘調査:橿原考古学研究所(1979年)

★被葬者:太安萬侶(続日本書紀の記事と、墓誌の位階級勲等は一致しています) 

★奈良ソムリエ検定テキスト掲載古墳

 

【参考文献】

・奈良・大和の古代遺跡を掘る(前園実知雄氏)

・大和の古墳を語る(伊藤勇輔氏ほか)

 

行き方(下のグーグルマップを参考にして下さい)