とみお まるやま 

富雄丸山古墳

 富雄丸山古墳は、直径109メートルで、日本最大の円墳です。墳丘は3段築成で、テラス面の幅は最大8.8メートルあります。中心部分には円筒埴輪が並んでいました。近年の発掘調査で、墳丘の裾部分が確認され、埼玉県の丸墓山古墳(直径約105メートル)を上回ることがわかりました。また、2023年には造り出し上段で粘土槨を確認し、蛇行剣・盾形銅鏡が出土しました。蛇行剣は長さ237センチメートルで、国内最長です。盾形銅鏡は長さ64センチメートル、幅31センチメートルで、盾のような形をした珍しい銅鏡です。富雄丸山古墳は、4世紀後半に築造されたと考えられています。被葬者は、当時の有力な豪族であったと考えられます。古墳は現在も調査中で、史跡公園を目指して整備される予定です。なお見学は調査の状況次第と思いますので事前に奈良市教育委員会に確認されるといいでしょう。

おすすめ度(☆4.0)

★所在地:奈良市大和田町丸山

★墳形:円墳(径110m、高さ約14.3m)墳丘の東北部に造りだしがあることが2次調査で確定しました。3段築成。葺石及び円筒埴輪列を持っています。

追記(2022.2.3)古墳南東部の調査区で、2段目に立った状態のヒレ付き円筒埴輪が2基確認されたほか、同じ段の別の調査区でもヒレ部分の破片が発見されたことから、ヒレ付き埴輪が墳丘の2段目を巡っていたと推定されています。(1段目はヒレのない通常の円筒埴輪列)形状が違う埴輪列が段により置き分けられているのは、全国でも今まで確認されておらず珍しい例という事です。

 

★埋葬施設:主軸を南北方向に持つ粘土槨で南北10.6m、東西6.4mの2段に掘り込まれた墓坑に長さ6.1m、幅2.9mの、長大な割竹型木棺と想定される痕跡が残っていました。

★出土遺物:盗掘されている為、原位置を留める遺物は、粘土槨の西側から筒型銅製品1点。西側墓坑壁に沿って銅鏃9点が見付かっただけで、撹乱土中からの採集品としては、巴形銅器、鏃形石片、石製鏃、刀剣類、鉄鏃、小札、鉄製のヤス、鎌、刀子、斧、石製合子等が見つかっています。盗掘時に持ち去られた伝富雄丸山古墳出土として知られる遺物には、京都国立博物館所蔵に刀子、斧、琴柱形石製品、鏃形石等。天理参考館には三角縁神獣鏡(吾作四神四獣鏡)3面。この内、出土した鏃形石片が京都国立博物館所蔵の鏃形石の欠けている部分とピタリ一致し、この古墳のものであることが確認されました。これらに加え今回の2次調査でも旧発掘土(一次調査時?)から鏃形石、管玉、鉄器,埴輪などの破片などが出土しています。

尚、近くの弥勒寺所蔵の伝富雄丸山古墳出土とされる三角縁神獣鏡は天理参考館所蔵のものを市埋蔵文化財調査センターで比較調査したところ、サビの様子等が大きく異なり同じ古墳からの出土とは考えにくいという見解が出されています。(2010年2月17日付の毎日新聞奈良版)また2023年には造り出し上段で粘土槨を確認され、蛇行剣・盾形銅鏡が出土しました。

★築造年代:4世紀中頃~後半

★発掘調査:1972年、2017~ 

★被葬者:不明

★奈良ソムリエ検定テキスト掲載古墳

 

メモ

・明治年間(1879年、1880年)大掛かりな盗掘にあっている。鏃形石、石製合子、石製模造品、三角縁神獣鏡などが持ち出されています。

 

【参考文献】

・大和の古墳を語る(泉森皎氏ほか)

・大和の古代遺跡案内(泉森皎氏)

・富雄丸山古墳(奈良県文化財調査報告19)泉森 皎・久野邦雄

・富雄丸山古墳の墳丘測量調査成果について 奈良県教育委員会 

・遺物が語る大和の古墳時代(泉森皎氏・伊藤勇輔氏)

・大和国古墳墓取調書(野淵龍潜氏編)

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