かすがのみや

春日宮天皇陵

 志貴皇子は、万葉集に6首の歌が収録されている人気歌人です。彼は天智天皇の第7皇子であり、光仁天皇の父です。志貴皇子は、壬申の乱などの影響で皇位に就くことはできませんでしたが、自然の情景を詠んだ歌で知られています。志貴皇子は霊亀2年(716年)に亡くなり、奈良時代後期の宝亀元年(770年)に、志貴皇子の第6皇子の白壁王が光仁天皇として即位しました。このとき、志貴皇子は「春日宮御宇天皇」の称号を贈られ、御陵も「春日宮天皇陵」と呼ばれるようになりました。奈良市史によると、志貴皇子は田原町の中央台地にある「シンノヤマ」に住んでいたとされており、ゆかりの地である田原に陵を造営したと考えられています。

おすすめ度(☆3.0)

★所在地:奈良市矢田原町西山

★墳形:東西約38m、南北約40m、高さ約10mの円墳。空濠は当初からなかったようで光仁天皇陵と同じく元治元年(1864)に修陵されています。(奈良県遺跡地図では09ーA-0001で径40mの円墳)

★埋葬施設:不明

★出土遺物:不明

★築造年代:不明

★発掘調査:未

★被葬者:春日宮天皇?

 

メモ 

 志貴皇子作の万葉歌には

・石ばしる 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも

・采女の 袖ふきかへす 明日香風 都を遠み いたづらに吹く

などが知られています。 

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