しょうむ

聖武天皇陵

聖武天皇は、奈良時代の第45代天皇です。在位は724年から749年までで、その間、仏教を深く信仰し、諸国に国分寺・国分尼寺を建立し、東大寺の大仏造立を進めました。また、蝦夷の乱や長屋王の変など、政情・世情が不安定な中で、恭仁京、紫香楽宮、難波京と、たびたび都を移しました。仏教に帰依し諸国に国分寺,国分尼寺を建て,東大寺の大仏造立を進めました。死後、聖武天皇の遺品は光明皇后によって東大寺に献納され、正倉院宝物の母体となっている事でも知られています。 聖武天皇の陵墓は、奈良県奈良市法蓮町の佐保山南陵にあります。

 

おすすめ度(☆2.0)

★所在地:奈良市法蓮町字北畑

★墳丘:宮内庁上の陵形は山形(陵域は不明)

奈良県遺跡地図によると、治定された範囲内に1基の古墳(05B-0041)の存在が指摘されていますが規模、概要とも不明。続日本紀には佐保山で火葬され、そこに埋葬されたとあります。東大寺要録によると当陵は、造営後、東大寺は山陵守をおいて祭司に当たり、その後、陵の前に眉間寺が創建され奉仕していたが、松永久秀が永禄年間(1558~1570)に佐保山一帯に多聞城を築く時、眉間寺も城内に取り込まれ、その後、多聞城は天正2年(1574)織田信長により廃城となっています。眉間寺のあった北側に聖武天皇陵があった可能性もありますが、多聞城の築造及び廃城の関係で同地域は、かなり改変されたようです。幕末(1855)頃の絵図に眉間寺から山陵に上る道には嘉永7年(1854)の聖武天皇の1100年忌に建てられたという石灯籠と鳥居が立ち、墳丘には柵が巡り、一見して横穴式石室のような石材が描かれています。しかし奈良時代に横穴式石室はありえず、築城や廃城で混乱し、陪塚とされている古墳も含め、より立派なものを聖武陵としたのかもしれません。(遺跡地図の05B-0041との関連は不明)

★埋葬施設:不明

★出土遺物:不明

★築造年代:不明

★発掘調査:未

★被葬者:不明  

★奈良ソムリエ検定テキスト掲載古墳

 

【参考文献】

・天皇陵総覧 元正天皇陵(篠原豊一氏) 

・奈良県遺跡地図(奈良県教育委員会)

・天皇陵古墳を歩く(今尾文昭氏)

  

行き方  

 聖武天皇陵は佐保山南陵として治定されている陵墓です。ただ本格的な調査はされておらず、その規模や内容については不明です。近くの光明皇后陵もあわせて見学されるといいでしょう。