かもやま

鴨山古墳

 1933年春に墳丘が崩れ、石棺の一部が露出した為、翌年6月、末永雅雄博士によって二日間だけですが馬見古墳群としては初めて学術調査が行われた古墳です。ビックリするような古墳ではありませんが、この地で緑泥片岩の箱式石棺はめずらしく一見の価値があります。

おすすめ度(☆4.0) 

★所在地:北葛城郡広陵町三吉小字鴨山

★墳形:円墳?(径不明)     

★石室:なし(石棺直葬)

★棺:組合式箱形石棺。緑泥片岩の板石で4枚で箱型に組まれ底石は上げ床で底石の下には粘土が充填されていました。石の厚さは5~9㎝、内側の寸法は長さ約2m、幅は0.78~0.85mで幅の広い方(南側)が頭部との事。高さは頭部で0.5m、足部で0.4m。

★出土遺物:調査前に既に撹乱されていましたが、次のような副葬品が残っていました。

金、銀、金銅製の刀装具、銀環、琥珀製勾玉、銀製空玉等の玉類、須恵器、布片及び漆片残欠。人骨、歯牙(44個の永久歯と6個の乳歯)

★築造年代:古墳時代後期

★発掘調査:1934年調査

★被葬者:?

特記事項
①末永雅雄博士は当時を回想して「大和の古墳」という著書にこう記されています。「すでに約四十年のむかしになった。たしか初夏のころ北葛城郡広陵町匹相にある鴨山という古墳の調査にでかけたときに、古墳へ先生に引率されてきた村の小学生たちが、被葬者追憶の歌を爽やかな声で合唱したことが妙に私の記憶に残る。そのときの児童たちも今は高年齢になる時期だが、まだ健在者も多いことだろう。小さな箱式棺に男女子供合わせて数体分の骨と銀の玉や刀装具があった。私は当時の村長竹島氏の家に泊めて戴き昼の調査が終わってから、夕方の爽やかな初夏の風を袖に感じながら井戸端で一人、出土遺物を洗って整理をしていた。いつか夜が更けたと見えて環境は静かになり、遺物を洗うブラシと水の音だけが物の動きで、あとは全く深更の静寂であって時計を見ると午前二時、考古学に全精魂を打ち込んで勉強していたつもりであったが、そのとたんに一種の鬼気を感じた。いまも鴨山古墳に行くとこの時の事が思い出される」 

 

②発掘調査で発見された人骨や歯牙は京都大学で鑑定され成人男性3名、女性2名、幼児2名の計7名が同じ棺に合葬されている事が判明しています。何故こんなに沢山の人が・・・馬見町史で網干善教氏がこう述べられています。ひとつは「古墳というものは家族的な性格をもっていて血縁のものが次から次に追葬された」という考えと「悪病とか天変地変の為一族一家が同時に無くなった」と言う事も考えられるが実証出来る材料はなにもない。  

 

【参考文献】

・大和の古墳(末永雅雄氏)

・大和葛城の大古墳群 馬見古墳群(河上邦彦氏)

・広陵町HP

・馬見町史

行き方

少し見つけにくいかも知れませんが千刈池の西側の丘陵の頂部にあります。道筋に解説板の背後周辺から竹薮に入り道なき道を頂部目指して北方向へ20米程度の所にあります。墳丘が改変されてるので多少見つけにくいかも知れません。下のマップの14が鴨山古墳です。

文化財と自然 探訪マップ(広陵町)より引用
文化財と自然 探訪マップ(広陵町)より引用