じょううるがみ

條ウル神古墳

 現在、石室開口部は埋め戻され墳丘への立入りも民有地の為、禁止され解説板があるだけです。2002年の現地説明会は約6000人もの見学者が訪れました。小生もその一人ですが、見学は4人ずつ交代で約10秒見れるだけでしたが、素晴らしい石室と石棺で、大和にも未だこんな素晴らしい古墳が残っていたんだと、大変感動を覚えました。石室内は土砂がかなり流れ込んだ状態(昔は水浸しの状態)で、下に副葬品等が埋まっている可能性が高く、石棺内も盗掘者が取り残した冠か沓の残片が比較的まとまってあり、激しい盗掘にあっていない可能性が高く、石室内の発掘調査が待たれます。 

追記 

2015.3.27に御所市教育委員会は2013年~2014年にかけて範囲確認調査が、古墳の周辺11箇所に調査区を設け行われ、南側調査区で直線的に伸びる前方部の端が検出され、墳長約70メートルの前方後円墳と判明したと報告されました。(長方墳の可能性も残されています)前方後円墳とすれば、畿内では最後のグループの一つとして注目されます。

おすすめ度(☆3.0)・・・石室公開されれば☆5.0 

★所在地:御所市條

★墳形:前方後円墳の可能性が高い。〈長方墳の可能性も残されている)いずれにしても長さ60~70m級で当該期としては大古墳。範囲確認調査で埴輪の破片が多くのトレンチで出土しているが個体に多様性があり、この古墳に立て並べられたものか、南に広がる巨勢山古墳群中の古墳のものが混ざったのかは不明。

★石室:両袖式横穴式、玄室長7.1m+α、幅2.4~2.7m+α、高3.8m+α。東に開口している。玄室幅と玄室長さの比がこの地域の特徴でもある狭長な玄室で巨勢氏との関連が注目される。

★棺:二上山白色凝灰岩・刳抜式家形石棺、縄掛突起長辺に3対、短辺に1対の計8個。玄室にスペースがあり追葬されている可能性が指摘されているが現状は土砂が0.7~1m程度堆積しているなかで追葬時の石棺が見えてないことより追葬は木棺の可能性が高い。

★出土遺物:金銅製馬具の一部。

★築造年代:6世紀後半

★発掘調査:2002年:石室の所在と現状把握。2013年~2014年:範囲確認調査。2016年:前方部の落込み部の確認。

★被葬者:巨勢氏の盟主。他に蘇我氏説もある 

 

メモ

大正5年出版の「奈良県史跡勝地報告」に「條の古墳」として当時の奈良県技師の西崎辰之助氏によって報告されていたが、墳長、石室、石棺の規模が信じがたいほど大きい事、あまり例の無い縄掛突起が8個もあるとされていた事より、資料そのものの信憑性が疑がわれていたが、実際の調査で西崎報告の正しさが実証され、国内最大級ともいえる石室、石棺であることがわかった。 

【参考文献】

・ヤマト王権と葛城氏(近つ飛鳥博物館) 

・御所市令和元年度企画展「條ウル神古墳~巨勢氏との関係を探る~」展示解説 

・古代葛城とヤマト政権 御所市教育委員会編

 

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