ごんげんどう

権現堂古墳

 巨勢谷では最も古い古墳のひとつです。現状、墳丘が神社と道路でかなり削り取られ、玄室奥壁が破壊されています。1988年に石室の崩壊を防ぐ為に鉄骨施設で補強されていますが瀕死の重傷という感じです。大抵の横穴式石室の場合、羨道部側から見られますがこの古墳の場合は石室の奥壁が破壊されている関係上、玄室側から見る為、多少面食らいます。石室はそんな立派なものとは思えませんが、この古墳の特徴である石枕付きの珍しい石棺が見られますので是非観察してください。(懐中電灯必要)

おすすめ度(☆4.0

★所在地:御所市樋野

★墳形:円墳?約15~20mと推定される。(前方後円墳の可能性もあり)高さは現状約4m。

★石室:片袖式横穴式(全長8.8m?)で比較的小さな石材が使われている。奥壁部が破壊され入口のようになっている。南南東向き。玄室長5.5m、幅2.5m、高さ2.3m。羨道部は土砂で埋まり不明。

★棺:玄室には複数の石棺があったと思われ、現状見る事が出来る玄室の石棺は長さ2.3m、幅1.1mで長辺に2個ずつ計4個の縄掛け突起を持ち赤色顔料の塗布が見られる。石棺としては比較的古い形式である。 小口部分が破壊されており、ここから石棺に造りつけた石枕を観察することができる。(御所市条地区以外では数例しかない珍しいもの。)尚、 この棺以外にも2つの棺がおさめられていたようで、その一つと考えられる家形石棺の蓋が墳丘周辺に残る。

★出土遺物:須恵器、甲冑の破片。

★築造年代:6世紀前半。

★発掘調査:未(1988年石室の保存工事で実測検査は行われている)

★被葬者:初期の巨勢氏の首長墓? (大和と紀伊を結ぶ巨勢路は、大和政権が6世紀代から葛城路に変わり重要視したことが残された古墳からも、この地域に有力豪族を配置した様子が伺える。) 

 

行き方  天安河(あまのやすかわ)神社の境内地にあります。