みどろみなみ

水泥南古墳

 この古墳のみならず巨勢谷の古墳は、新宮山古墳、権現堂古墳、水泥塚穴古墳等、追葬墓が多く、かつ追葬棺が立派な古墳が多いと言うのも特徴の一つです。特にこの古墳の 羨道部にある前棺の縄掛突起の短辺の1対に、それぞれ蓮華文が彫り込まれており、仏教文化との関わりがあったのか注目される古墳です。見学は持ち主である西尾さんに事前にお願いしてから見せていただく事になります。見学者が多い古墳ですが、いつも快く見せていただき感謝です。

おすすめ度(☆5.0)

★所在地:御所市古瀬

★墳形:円墳(径約25m)高さ5m。

★石室:両袖式横穴式(全長10.8m)玄室長4.6m、幅2.3m、高2.5m、羨道長6.2m、幅1.6m、高さは推定1.7m。南に開口。石室は花崗岩の自然石で玄室側壁は基本的には3~4段積みの持ち送り、奥壁は2段積み、前壁は1石で内部に傾斜させ天井石は2石。羨道部は基本的には2段積みで天井石は4石という構成である。昔は石棺の身の半分ぐらいまで土砂で埋まりそれはそれで趣もあったが1996年に土砂が取り出され奥棺も一部補修され照明設備もつけられ見やすくなった。

★棺:2棺あり、玄室部に置かれているのは刳抜式家形石棺。蓋の約1/3は欠損、短辺1対、長辺2対の計6個の縄掛け突起を持ち二上山凝灰岩製。一方、羨道部の石棺も同じく刳抜式家形石棺で計6個の縄掛け突起を持つが長辺の2個は小さく石材は竜山石。当初、研究者の間では、羨道部の縄かけ突起は、退化した形式で、時代的には新しいとされてきたが、これは追葬時、縄掛突起が羨道部の側壁に当たる為、削った事が判明(その箇所だけ加工が異なる事より)

 ★出土遺物:須恵器、金銅製の耳飾り

★築造年代:7世紀前半

★発掘調査:1996年

★被葬者:巨勢氏関連?

★奈良ソムリエ検定テキスト掲載古墳

 

【参考文献】

・ヤマト王権と葛城氏(近つ飛鳥博物館)【

・大和の終末期古墳(河上邦彦氏) 

・大和の古墳を語る(伊藤勇輔氏ほか)

・大和国古墳墓取調書(野淵龍潜編)

 

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