キトラ古墳

2013年8月文化庁はキトラ古墳の石室を初めて一般公開しました。公開は事実上、最初で最後の機会。但し、3600人だけの限定公開(1日450人☓8日間)に対し、14000人以上もの応募があった。小生は幸い参加する事が出来ました、もっと多くの人に見てもらう配慮が必要ではないかと感じました。今まで散々いろんな問題があり長期間化した経過からみても、最初で最後と言うならば、公開期間をもっと延長してでも、多くの希望者にその機会を与える工夫が必要であったと考えます。例え工事がその分がズレても国民の理解は得られると思うのですが・・・文化庁は見せてやるという姿勢ではなく、文化財は国民共有の財産であることを忘れてはならないと思います。近年の県内の古墳整備は、藤の木古墳や高松塚古墳等に代表されるように、周辺の景観も含め、平成あるいは令和の古墳としか思えない整備?で時代の重みを感じさせない整備です、これはもう古墳ではなく、ただの土饅頭でしか無いと思うのですが。 

おすすめ度(☆3.0)・・・本来なら☆5.0 

★所在地:高市郡明日香村阿部山

★墳形:南東から北西に伸びる尾根の南斜面に築かれた円墳(径13.8m、高さ3.3m)2段築成で版築工法で造られている。

★石室:二上山白色凝灰岩の切石を組み合わせた横口式石槨(長さ2.4m、幅1.04m、高さ1.14m)で床石4枚、奥壁1枚、東壁4枚、西壁3枚、扉石1枚、天井石4枚の計17枚で構成され表面に漆喰で塗られた石槨内には床面を除く各面に四神図、天文図、日月図、十二支の獣面人身像図の壁画が描かれていた。天井に描かれた天文図は東アジア最古の現存例であり、青龍・白虎・玄武・朱雀の四神の全てが現存しているのはキトラ古墳だけである。写真の図はキトラBOOK2009(朝日新聞)より引用

★棺:漆塗木棺(2004年の発掘調査で大量に出土した木片や漆膜片を奈文研が調査の結果従来木棺の内側だけと見られていた朱色は棺の外側に取り付けられていたと見られる飾り金具や棺の縁付近の塗膜片にもあった事より、木棺は内外の両側共に朱色だったことが判明。同時に黒い木片や塗膜片もあり黒漆の棺台があった可能性があることがわかった。写真の図はYOMIURI ONLINEより引用

★出土遺物:漆塗木棺片、金銅製棺座金具、銀環付六花飾金具、琥珀玉、ガラス玉、帯執金具、人骨等 

★築造年代:7世紀末~8世紀初め

★発掘調査:1983年以降数回

★被葬者:出土した人骨片から40~60才代の男性と推定されている。被葬者候補として、阿部御主人(直木孝次郎氏・白石太一郎氏・岡本健一氏)高市皇子(猪熊兼勝氏)長皇子(門脇禎二氏)百済王昌成(千田稔氏)東漢氏(和田萃氏)等があげられている。 

★奈良ソムリエ検定テキスト掲載古墳

 

 【参考文献】

・阿武山古墳と牽牛子塚古墳   今城塚歴史館

・明日香風10号(特集キトラ古墳)  飛鳥保存財団

・日本の古代遺跡 奈良飛鳥(菅谷文則氏)

 

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