つかもと

塚本古墳

 

明日香観光の人気スポット、稲渕の棚田の中にある巨石古墳です。明治末年頃、石垣に利用する為、破壊され羨道部のほとんどは消滅し、玄室部も西側壁は大部分が無く、当然天井石も失われています。わずかに奥壁と東側石がその名残りを残しています。発掘時に土砂で埋まった玄室の南端から羨道部にかけて家形石棺の石材が発見されています。

おすすめ度(☆3.5) 

★所在地:高市郡明日香村稲渕

★墳形:方墳(1辺39m、高さ3m以上)であるが原形を殆ど失っている。南東に開口。2段築成。

★石室:両袖式横穴式(全長12.5m以上)玄室長4m、幅2.5m、高さ2.7m、羨道長約8m、幅1.9mで玄室奥壁は切石状の巨石の2段積み、側壁は3~4枚に縦、横積みされている。羨道部は両袖石を除き抜き取られていたが痕跡から両壁共に4石を縦ないし横積みにし玄室内には比較的扁平な割り石で棺台がつくられていた又、石室床下には排水溝の施設があった。

★棺:二上山鹿谷寺付近の凝灰岩の刳抜式家形石棺(6個の縄掛け突起を持つ)で蓋が玄室南端から羨道部にかけて移動されていた。(古代末に石室内を祭りの場として再利用された時に蓋は引きずり落とされ、その上面が祭場とされたため、奇跡的に遺存したとの担当者の見解である。棺身はこの時整地、平坦化のため粉々に割られていたとあるが他所に運ばれた等、諸説あり

★出土遺物:土師器、須恵器、黒色土器、瓦器など

★築造年代:7世紀前半

★発掘調査:1983年(橿原考古学研究所)

★被葬者:蘇我氏関連。こんな説も→641年10月舒明天皇が百済大宮で崩御し12月に滑谷岡(なめりはざまのおか)に葬られたとあるがこれがこの塚本古墳か・・(翌643年9月に現在の押坂陵に改葬された)ちょっと信じがたいが・・?

 

【参考文献】

・飛鳥発掘点描 塚本古墳①②(網干善教)

・続明日香村村史 塚本古墳(河上邦彦)

・大和を掘る1983 塚本古墳(東 潮)

・日本の古代遺跡 奈良飛鳥(菅谷文則氏)

・飛鳥の古墳 (明日香村教育委員会)<

 

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