ちはらおおばか

茅原大墓古墳

  1982年に国史跡に指定され、一部を除き市有地で、桜井市が将来的に史跡公園化を目指し、順次調査した古墳です。調査以前は帆立貝式の有名な古墳にもかかわらず、雑木が多いうえ、実態もよくわからない事もあってか、遠巻きに解説板のあたりから、墳丘を観察する程度だったのですが、今は雑木もなくなり、墳丘にも上れますので墳丘図を持参のうえ、周辺の古墳との位置関係、墳丘西側の周濠跡、帆立貝式独特の短い前方部等を確認されるといいでしょう。出土した埴輪は桜井市埋蔵文化センターで展示されていますので、合わせてご覧がおすすめです。

おすすめ度(☆4.5)

★所在地:桜井市茅原 

★墳形:帆立貝式前方後円墳(寸法は復元長)全長約86m、後円部径約72m、高さ約9m、前方部長さ約15m、高さ約1m。埴輪及び葺石あり。前方部を北に向け周濠の痕跡と見られる池(小池と丸池の一部)あり。河合町の乙女山古墳と並ぶ代表的な帆立貝式前方後円墳です。地元では倭佐保姫の御陵として伝えられ守られ比較的原形を残しています。

★埋葬施設:不明とされてきましたが、2013年12月に墳丘の地中物理探査が行われ、埋葬施設は「粘土槨」の可能性がある事が判りました。盗掘の形跡もなく良好な形で残っていると考えられると新聞発表あり(2014.6.27付)

★出土遺物:円筒埴輪、朝顔形埴輪、きぬがさ型埴輪,壺形埴輪、盾持人埴輪、鳥形埴輪片 

★築造年代:4世紀末頃

★発掘調査:1995年、2008年~(埋葬施設は未)

・第1次調査(1995年)小池と丸池を縦断する堤の周辺を調査。後円部の南西端とその外堤を巡る濠の外縁を確認。

・第2次調査(2008~2009年)前方部の東端部分を確認。同時にそこに施された葺石も発見。

・第3次調査(2010年)後円部墳頂と中段で円筒埴輪列を確認。後円部と前方部の境界で葺石を確認。

・第4次調査(2010年11月~)墳丘東側から北側にかけて調査。後円部東側、東側くびれ部、前方部北側で葺石を、更に東側では葺石の他、平坦面も確認され、前方部は2段築成と判明し埴輪棺が1基確認されました。又、墳丘東側のくびれ部付近で、日本最古級の人物埴輪が出土しました。人の形を模した盾持人埴輪で、邪悪なものから古墳を守るため、古墳外縁部に置かれる例が多く、関東地方を中心に約100例以上が出土しているものの大半は5世紀後半以降で、4世紀末の古墳から盾持人埴輪が見つかったのは初めての事例で、埴輪に顔面表現をいち早く採り入れた例として注目されます。

・第5次調査(2011年11月~) 説明会は2012年2月18日、小雪がちらつく中で行われ、①古墳の墳丘と外部をつなぐ渡土堤が確認され、市教委は「古墳の全体像を知るうえで大きな成果」としています。渡土堤は全長7m、幅5~7mで古墳の前方部の北東隅から出土しました。渡土堤の両側側面には葺石が施されたており、墳丘と外部をつなぐ役割のほか、濠の水位を調整する役割も果たしていたものと考えられています。この他、後円部の北西側で、円筒埴輪列の一部や、円筒埴輪を転用した埴輪棺も2基出土しています。②括れ部付近で円筒埴輪を転用した棺を2基発見。③東西の2段目括れ部の位置が確認された事で墳丘主軸が確定され、加えて後円部1段目の平坦面が確認され、後円部3段、前方部2段築成が明確になりました。④1段目の埴輪列がはじめて検出されました。

★被葬者:?(地元では、倭佐保姫の御陵として言い伝えられています)

★奈良ソムリエ検定テキスト掲載古墳

 

【参考文献】  

・大和の古墳を語る(河上邦彦氏ほか)

・史跡 茅原大墓古墳(桜井市教育委員会)

・日本の古代遺跡5 奈良中部(寺澤薫氏)

 

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