ちはらきつねづか

茅原狐塚古墳

 JR桜井線の三輪駅から巻向駅に向かって700mの東側の線路脇にあります。墳丘は元々一辺40mはあるかという大型の方墳ですが、南西方向はJRの線路で削られたほか、畑地で大きく削られ、現状は1辺30m前後になり、石室の封土も殆ど失われています。規模的には赤坂天王山古墳クラスの大型石室で三輪山麓に残る数少ない古墳です。しかしながら史跡には指定されておらず保護対策が望まれます。(現地に解説板はありません)

おすすめ度(☆4.5) 

★所在地:桜井市茅原

★墳形:方墳(一辺40m?)

★埋葬施設:巨大な花崗岩を使った両袖式横穴式石室で、河上邦彦氏は、当石室は水泥塚穴古墳と同じ工人集団がつくった可能性を示唆されています。全長17.3m、玄室長6m、幅2.6m、高さ3.2m。羨道長11.3m、幅2.1m、高さ1.9m。全長は五条野(見瀬)丸山古墳石舞台古墳に次ぐ長さですが、羨道長11.2mの内3.5mは小石積みの側石で、追葬時に羨道部を拡張した可能性も考えられます。この古墳の特徴のひとつとして県内の古墳では例を見ない、玄室内3棺並列埋葬で、羨道部にも追葬されたと思われる痕跡(鉄くぎの出土より)玄室部の石棺の状況は以下の通りです。

●玄室奥壁の石棺→凝灰岩製組合式家形石棺。底石は原位置にあるが、四方の側石は倒れ2.枚の蓋石がその上に乗っています。蓋石は2枚で構成され、それぞれ2対の縄掛突起を持つ。

●玄室中央の石棺→蓋石は既にありませんが、玄室奥壁の石棺と同様のものと推測され、組合式石棺と思われます。

●玄室入口の石棺→殆ど棺が破壊され、石棺の構造は不明です。幅1.1mにわたって敷石があり棺底に当たる部分に小礫石を詰めています。石棺の破片から、玄室内の3棺の中で一番立派なものと思われます。

★出土遺物:玄室より多数の須恵器の杯(但し完形品は2個のみ)、羨道部から鉄直刀と思われる小残片、木棺の釘、土師器破片等。

★築造年代:7世紀初め

★発掘調査:1958年(大三輪町史編纂に伴う調査)

★被葬者:三輪氏関連?

 

【参考文献】

・「桜井の横穴式石室を訪ねて」(桜井市教育委員会) 

・桜井の横穴式石室(桜井市教育委員会)

・大和の古墳を語る(伊藤勇輔氏ほか)

・日本の古代遺跡5 奈良中部(寺澤薫氏) 

・大三輪町史 

 

行き方  

  かって横穴式石室に入れたのですが2020年9月再訪時は開口部がバリケードされ、石室内も浸水していました。入れた時は、奥壁から光が入りこみ独特の雰囲気をかもし出していました。

桜井市観光協会提供(とし坊作成)

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