あかさかてんのうざん

赤坂天王山古墳(1号墳)

 巨大横穴式石室、家形石棺、元天皇陵と三拍子揃った見応え十分の素晴らしい古墳で、この古墳に入らずして横穴式石室は語れません。この石室に入って古墳の魅力に取り付かれた方が沢山いらっしゃいますが、自分もそんな一人です。開口部は土砂が入り込み狭く、しゃがみ込んでやっと入れる感じですが、真っ暗な羨道の緩やかな斜面を、頭を打たないように恐る恐る7~8m入って行くと、徐々に広くなり、やっと玄室に到着します。玄室内は、ほんの僅かしか光が入ってこないので懐中電灯は必携です。巨大な玄室の中央部には立派な家型石棺が横たわり、まさに6世紀末の世界がここにあります!怖いとかは不思議と思わせない、ロマンの香り漂う素晴らしい石室です。 

おすすめ度(☆5.0) 


★所在地:桜井市倉橋字赤坂

★墳形:方墳(北辺約50.5m、南辺約43.2m、東辺約46.5m、西辺約47m,高さ約9m)3段築成。南南東に開口しています。

★石室:両袖式横穴式(全長15.3m以上)玄室長5.5m、幅3.1m、高4.2m以上, 幅は奧壁部で3.2m、中央部で3m、前壁部で3.2m。羨道部は長さ8.8m以上、幅1.8m、高さ1.9m以上。玄室各壁は3段積み天井部は3石で構築され玄室の壁は全て持送りされています。石室構造が広陵町の牧野古墳と非常によく似ており、おそらく同じ石工集団が同じ設計思想で造った可能性が考えられます。

★石棺:流紋岩質凝灰角礫岩製の刳抜式家形石棺で、6個の縄掛突起を持つ。棺身の長さ約2.5m、幅約1.6m、棺蓋上面までの高さは約1.5m。尚、石棺前面の盗掘孔に四辺に深さ5cm程度の縁取りの切り込みがありますが、その目的は不明で、一説には四角い覆いの石をはめ込んであったのではないかとの考えもあります。

★出土遺物:不明

★築造年代:6世紀末~7世紀初め(石室の構造より)

★発掘調査:測量調査のみ、奈良縣史史蹟地調査会(1914年頃)、田村吉永による調査(1932年頃)、日本古文化研究所(1935・1937年)、桜井市教育委員会(2000~2009年)

★被葬者: 明治年間(明治22年まで?)まで崇峻天皇倉梯岡上陵とされていました。しかし宮内庁は現在赤坂天王山古墳から西南約1.7キロの現崇峻陵を治定しています。しかし、この陵は観音堂という堂の基壇跡で、古墳ではないとの見方が強く、築造時期や倉橋地区で天皇陵に相応しい規模の古墳という意味では、赤坂天王山古墳こそ真の崇峻天皇陵と考える研究者は多い。

★奈良ソムリエ検定テキスト掲載古墳(天王山古墳として)

 

【参考文献】

・桜井の横穴式石室を訪ねて(桜井市教育委員会)

・桜井の横穴式石室(桜井市教育委員会)

・赤坂天王山古墳群の研究(桜井市文化財協会)

・大和の古墳を語る(伊藤勇輔氏ほか)

・古墳 -桜井市古墳綜覧ー( 小島俊次氏) 

 

行き方 (下の動画を見ればすぐ行けます。)

現在、入り口は獣害防止用のフェンスが張られ扉がありますが施錠されてないので入れます。忘れないように扉を閉めておいてください。