かがみのおおきみ

鏡王女墓

 古墳正面の看板で一見、宮内庁管轄かと思わせるような雰囲気ですが、今は地元の忍阪区で自主管理されています。この古墳の魅力は、古墳そのものより、ここに来るまでの忍阪の集落と、古墳周辺の景観です。忍阪の集落は古い家並みがいまだに残り、集落に外鎌山(忍坂山)から流れ出た清流が静かに流れています。段ノ塚古墳を過ぎたあたりから山手に向かい歩きだすと、せせらぎにひっそりとたたずむ鏡女王の万葉歌碑があります。更に歩を進めると一気に視界が拡がり正に万葉の世界です。四季それぞれに趣があり、時間がゆっくりと流れています。鏡王女はここで静かに眠っておられます。 

おすすめ度(☆3.0)

★ 所在地:桜井市忍阪字女塚

★墳形:外鎌山の南緩斜面上にある15~20mの南面する円墳。(上円下方墳との説もあり)奈良県教育委員会発行の「奈良遺跡地図」には15A-76(鏡皇女陵)円墳、径15mとだけ記載されています。忍坂山(外鎌山)の南斜面の小さな支尾根の突端に作られており、風水思想に基づいた終末期古墳の特徴をそなえています。

★埋葬施設:不明(横穴式石室??)

★出土遺物:不明

★築造年代:不明

★発掘調査:未

★被葬者:額田王の姉で天智天皇の妃、中臣鎌足(藤原鎌足)の室で、万葉歌人の鏡王女(天武12年・683年没)の押坂墓とされていますが、鏡王女という人物に関して諸説あり、万葉集の鏡王女、日本書紀に書かれている鏡姫王(天武天皇が自ら見舞う)、興福寺縁起の鏡女王(藤原鎌足の嫡妻)、延喜式の鏡女王(舒明天皇の押坂陵内に墓がある)のすべてが同一人物とする説と、それを否定する考えもありますが、ここはロマンの世界として万葉歌人「鏡王女」でいいのではないでしょうか。尚、舒明天皇陵(段ノ塚古墳)の横を流れるせせらぎの傍にある犬養孝揮毫の鏡王女の「秋山乃 樹下隠 逝水乃 吾許曽益目 御念従者」という万葉歌は、わずか三十一文字の中に、内に秘めた女心を見事に詠いあげており、万葉歌碑は数多くあれど、これほど歌詞と風土がピッタリくる場所に立てられた歌碑ももないと言われています。(右上の写真)

 

【参考文献】 

・天皇陵古墳を歩く(今尾文昭氏) 

 

行き方