にいざわせんづか

新沢千塚古墳群

 定期的に草刈りが行われ、遊歩道もついているのでゆっくりと散策できる古墳群です。ポイントとなる古墳の横には詳細でわかりやすい解説板があります。円墳の木棺直葬が大半で、発掘調査後は埋め戻され、直接埋葬施設を見れる古墳はほとんどありません。できるだけ事前学習し予備知識を持って見学した方がいいでしょう。そういう意味では見学の前に、同じ区域内にある「歴史に憩う橿原市博物館」で予備知識を得てから見学するのがおすすめです。(ただ、新沢千塚古墳群関係の出土品は殆どがレプリカなのが残念です。)

おすすめ度(☆4.0) 

★ 所在地:橿原市鳥屋町、北越智町、川西町、一町 

畝傍山の南方に広がる越智岡丘陵上の南北4キロ東西1キロにわたり分布し、総数600基以上からなる日本を代表する群集墳です。時期的には4世紀後半から7世紀にかけて造られており、5世紀半ばから6世紀前半にかけてが最盛期で、6世紀終わりから徐々に衰退し始めています。1962年から1966年にかけて発掘調査され、125基が発掘調査されています。調査の結果、横穴式はわずか4基で、大部分が木棺直葬であり、甲冑などの武器、武具の副葬が多いなど初期の群集墳の特徴を持っています。また、新沢千塚古墳群の特徴としては、大陸的な遺物が含まれており、126号墳からは、ペルシャから運ばれたと思われるガラス器や、黄金に輝く装飾品が副葬品として見つかり、139号墳からは多量の武具・馬具が出土し、被葬者として大陸文化に深く関わりのある大伴氏や渡来系の漢氏ではないかと推測されています。今は、国の史跡に指定され保存整備が行なわれ、市民の散策コースとして親しまれています。

★奈良ソムリエ検定テキスト掲載古墳

 

メモ

・他の地域より半世紀以上早く造られ始めた関係からか木棺直葬が多い

・日本の古墳では例の見ない多数の金製装身具類を出土した国際色豊かな126号墳が特に有名。

・この古墳群の調査時、橿原考古学研究所の故藤原光輝氏が特製の手クワで土をたたく事により木棺の痕跡を掘出す技術を確立された。この技術が確立された事により、このタイプの古墳がうまく発掘されるようになったのである。残念ながら新沢古墳群の発掘の4年目に亡くなられたがその功績は大きい。

 

【参考文献】

・新沢千塚(歴史に憩う橿原市博物館)

・継体天皇とヤマト(橿原考古学研究所付属博物館)

・考古学点描(河上邦彦氏)

・遺物が語る大和の古墳時代(泉森皎氏・伊藤勇輔氏)

・大和の古墳を語る(泉森皎氏・伊藤勇輔氏ほか)

・日本の遺跡発掘物語 新沢千塚(内倉武久氏)

 

行き方