ますやま

桝山古墳(倭彦命陵)

 現在、陵は前方後円墳のようになっていますが、桝山の名が示すように本来は方墳です。明治時代の陵墓整備で、外見を前方後円形にしたようです。方墳としては、日本最大の規模)を誇ります。ちなみに後で付け加えた前方部はわずかに高まりがみられる程度で、元々は畑だったようです。陵墓指定されている為、実態がよくわかりませんが直ぐ近くにある新沢千塚古墳群との関わりも気になる所ですが直接的な関連はないようです。古墳周辺は回れますので墳丘図を見ながら改変された状況を観察されるといいでしょう。(特に後付けの前方部は高さが極端に低くすぐわかります。)

おすすめ度(☆4.0) 

★所在地:奈良県橿原市北越智町

★墳形:陵墓地形図から想定すると一辺85m、3段築成。(現状は前方後円墳風)

★埋葬施設:不明

★出土遺物:黒斑とよばれる野焼きによる焼きムラが特徴の円筒埴輪が出土。

★築造年代:4世紀後半~5世紀前半と考えられる(今尾文昭氏)

★発掘調査:未調査

★被葬者:?崇神天皇の第三皇子である倭彦命(やまとひこのみこと)の墓にあてられ、日本書紀の殉死の禁止と、埴輪の起源伝承にでてくる古墳です。倭彦命の葬儀にあたって、従来からの慣習で、従者を無理やり陵の周囲に生埋めにしたが、数日たっても死にきれず、昼となく夜となく悲痛な声が土中から聞こえ、力尽き死ぬと腐爛した死体に、犬や烏が群らがって喰み散らしたといいます。それに心を痛めた垂仁天皇は、以後は殉死を禁じ、代わりに埴輪を立てさせたとの話が残っています。(但し今までの日本の古墳で殉死者と思われる人骨が発見された事実はありません)

★奈良ソムリエ検定テキスト掲載古墳(身狭桃花鳥坂墓として)

 

【参考文献】

・天皇陵古墳を歩く(今尾文昭氏) 

行き方