ささぼこやま

笹鉾山古墳群

 笹鉾山古墳群は標高48m前後の沖積地に位置し、前方後円墳1基、円墳4基で構成される、6世紀代の古墳群です。近年(1994年)用水工事に伴う調査で発見されたように紹介される事がありますが「大和国古墳墓取調書」(1893年)に笹鉾山として紹介されている周知の古墳です。特に知られるのは2号墳(埋没古墳)の周濠から出土した馬子と飾り馬がセットになった埴輪です。(2組出土)うち一体は馬子の顔面に刺青を表現する線刻があり、別の一体は腰に鎌をさした埴輪で、関東で数例の出土例があるのみで注目に値する埴輪です。現物は「唐古・鍵 考古学ミュージアム」で常設展示されていますので、合わせて見学がお薦めです。 

おすすめ度(☆3.0) 

★所在地:磯城郡田原本町八尾(4号墳のみ三宅町石見字西大塚)   

●1号墳

墳丘長約50m、後円部経約33mの前方後円墳で、この古墳群の盟主墓です。前方部を東北東に向け、元々二重周濠を持っていた事が調査結果から判明しています。現在、後円部墳頂に稲荷神社が祀られ、前方部に向け参道がありますが、奈良盆地低地部の前方後円墳としては比較的、墳丘の残りは良い方かと思います。主体部は未発掘で不明ですが墳丘には埴輪が樹立されていたようです。出土品は円筒埴輪の他、土師器、馬歯等があり築造年代は6世紀前半と考えられます。


●2号墳

1号墳の約30m北側にあった古墳。現在畑地となり完全に削平されています。1994年の発掘調査で円墳部の1/3が検出され周濠を持つ古墳である事がわかっています。(北側に陸橋部が存在する可能性あり)復元長、経19.5mの円墳で出土遺物は南側の周濠から円筒埴輪、朝顔型埴輪、形象埴輪、木製品が墳丘から倒れこむような形で出土しています。尚、北側の周濠では埴輪等の出土が、あまりなく南側をメインに埴輪や木製品が飾られていたようです。形象埴輪は衣笠1,人物5、馬3で、人物埴輪の一部には刺青がある事と、背面の腰に鎌をさしているのが特徴です。出土品から6世紀前半~中頃に造られた古墳と考えられています。

●3号墳(消滅)
1号墳から北々西、約200mに位置する経20mの周濠のある円墳ですが、現在は削平されています。出土品としては土師器、須恵器が確認され築造年代は古墳時代後期と考えられています。

●4号墳(坊主山古墳)

1号墳の西北西400mの三宅町石見字西大塚に位置する円墳で坊主山古墳又は西大塚古墳と呼ばれています。墳丘は現状は径10mで、裾部が徐々に削られ縮小化しています。出土品としては土師器の他、鉄剣が伝えられます。「磯城郡誌」によれば、元旦になれば金鶏が鳴くと伝える、金鶏伝説を持つ古墳です。 

●5号墳

田原本町八尾字大塚に位置する現状は経5mの円墳です。1893年に書かれた野淵龍潜「大和国古墳墓取調書」にも出てくる古くから知られた古墳です。出土品等は知られず実態が不明な古墳ですが恐らく他の笹鉾山古墳群と同様、6世紀代の古墳と思われます。

 

【参考文献】
・三宅町史
・田原本町文化財調査年報15(田原本町教育委員会)
・奈良県遺跡地図(橿考研)
・大和を掘る(橿考研 ) 

大和国古墳墓取調書(野淵龍潜 氏) 

 

行き方