みつづか

三ツ塚古墳群

  南阪奈道路建設に伴い調査された旧当麻町の竹内街道近くの屋根斜面上にある古墳群です。この古墳群に対しては詳しい資料が入手できていませんので、全体の説明のみ現地の説明板から引用します。

三ッ塚古墳群は、16基の横穴式石室墳を中心とする古墳群です。南阪奈道路の施工にともない1999年より2年間にわたり発掘調査がおこなわれ、横穴式石室墳16基と墳丘を持たない小石室14基が発見されました。古墳づくりは、6世紀末からはじまり、7世紀末まで継続されていました。古墳の形には円墳と方墳がありますが、時代を経るにしたがい円墳から方墳へ、規模も大きいものから小さいものへと変化する様子が読み取れます。三ッ塚古墳群は平石峠越の街道に面し、竹内街道との分岐点にほど近い場所にあります。街道同士の交差点に古墳が位置する例は、奈良盆地においては大王の墓と目される古墳や、政治の中心で活躍していた豪族の墓と目される古墳に認められます。古墳をつくる際の考え方に共通性が認められることから、三ッ塚古墳群をつくった集団も政治の中心で活躍していたものと考えられます。三ッ塚古墳群からは、平瓦や黒漆塗りの革袋といったものが出土しています。三ッ塚古墳群をつくった集団は、寺の造営に関わることがあり、また対外交渉に関わる人物を輩出したと推測することができます。なお、同一範囲にかさなって、8世紀前半の火葬墓と9世紀前半以降の木棺墓と火葬墓が発見されています。発掘調査の成果を受けて、三ッ塚古墳群調査範囲のうち1/3が保存されることとなりました。破壊される場所にあった古墳のうち7号墳は保存範囲へと移築されています。

行くまでは、さほど期待はしてなかったのですが、きちんと整備され、古墳毎の解説板も一般の方に判りやすい形で書かれていて好感が持てます。そんな大きな古墳群でもないし目立って特徴があるわけでもありませんが、それぞれの古墳に不思議と存在感があります。古代のポシェットがここで出土と思っただけで、ロマンが広がってくるのです。

おすすめ度(☆3.5) 

★所在地:葛城市竹内 

 

●7号墳(移築墳)

発掘当時                    現在   

もとはここから100m東にあった方墳で、復元時に一部石を補充して復元しいます。無袖式の石室内には縄掛突起のないシンプルな刳抜式の家形石棺が残っており、築造は7世紀後半と思われます。

●10号墳 

この古墳は、もとからこの場所にあった古墳で、当古墳群では11号墳に続いて古い古墳です。墳形は方墳で石室は両袖式です。組合式石棺の破片が検出されており、玄室内に追葬時の小石室も2箇所存在しています。

発掘当時                                 現状

●11号墳

この古墳群では一番古く、6世紀終わりごろの築造と思われます。円墳で墳丘周りは外護列石が巡ります。組合式石棺の破片が見つかっています。また追葬が行われたことも確認されています。

●その他(13号墳、14号墳、15号墳)

 この古墳群を一躍有名にしたのが古代のポシェット!!11号墳の西側近くの1m四方の穴から漆膜のついた土の塊状で発見されました。鉄釘が散乱していた事から元々は木の箱に納められていたようです。箱の大きさは推定50×40cmで箱の大きさから見て改葬墓の可能性が高くこの漆製品は副葬品と見られるにいたりました。その後、担当者の執念の調査の結果、古代のポシェットと判明し大きな反響を呼んだのです。

 

【参考文献】

・大和の終末期古墳(河上邦彦氏)

・葛城の考古学(松田真一編)

・葛城と磯長谷の終末期古墳(葛城市歴史博物館)

 

行き方