とりたにぐち

鳥谷口古墳

 大津皇子の姉、大伯皇女が弟の死を嘆き悲しんだ歌に「うつそみの人にある我れや明日よりは二上山を弟背と我れ見む」があります。「今はもういない弟を、これからは二上山と思って過ごそう」と言う意味で、歌の前文に弟の屍を二上山に移し葬る時に嘆き悲しんで作った歌とあり、二上山周辺に大津皇子の墳墓があり、しかも改葬墓の可能性を示唆しています。現在宮内庁治定の大津皇子墓は二上山の頂上にありますが、この時代は丘陵の南斜面に作られることが多く、山の頂上に造る事は可能性として低く、古墳かどうかも疑問視されています。それに対し鳥谷口古墳の所在地は染野(しめの)と呼ばれる皇室の管理下であった可能性があることに加え、石室がいかにも急ごしらえで造られたかのような、この墳墓こそ、真の大津皇子が葬られている可能性が高いと思われます。 

おすすめ度(☆4.0)

★所在地:葛城市染野(しめの)

★墳形:方墳。墳丘規模が1辺7.6mで当時の墓制では最低の規模。南に開口。外護列石あり。

★埋葬施設:凝灰岩の横口式石槨(内法は長さ1.58m、幅0.6~0.66m、高さ0.71m。)組合せ式家形石棺状で、天井部と北側面については、組合式家形石棺の蓋石などが流用されています。石槨の規模も成人を土葬したとは思えない小空間で、改葬墓の可能性が高い。

★出土遺物:須恵器、土師器

★築造年代:7世紀後半~末

★発掘調査:1983年、1985年

★被葬者:大津皇子? 

 ★奈良ソムリエ検定テキスト掲載古墳

 

【参考文献】

・歴史読本・古代天皇家の皇子たち 解明!皇子の古墳(河上邦彦氏)

・大和の終末期古墳(河上邦彦氏)

・考古学点描(河上邦彦氏)

・「天皇陵」総覧 大津皇子墓(吉岡正信氏)

・石の考古学(奥田尚氏)

・葛城と磯長谷の終末期古墳(葛城市歴史博物館)

 

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