いちおはかやま

市尾墓山古墳

 近鉄吉野線市尾駅から徒歩5分の平地に盛土で築成され現在は雑木は殆ど伐採されており古墳の形状がよくわかります。しかしながら行き過ぎた整備?で雰囲気を失っている感じもしないでもありません。特に後円部につくられた見学用の階段が雰囲気を壊しているように思います。みんなに見てもらうという姿勢はありがたいのですが、行き過ぎた整備は抑えて欲しいと思います。(藤ノ木古墳や高松塚古墳の整備についても同様です。現在人が手を加えすぎたた古墳など見たくはありません)古墳そのものは、巨勢谷に勢力を持った大豪族の墓に相応しい立派な古墳です。イベント時に2回石室内に入らせてもらいました。石棺の短辺側の一部に盗掘穴の補修が雰囲気を壊していますが他は新品同様で綺麗!!感動ものでした。コレはおそらく羨道部分が発掘調査まで開口してなかったの事と調査後も石室は基本的に閉鎖され劣化が防がれてると言えますが半面ここまでやって公開しないという高取町の姿勢にも疑問を感じます。(年に数回でも公開してほしいものです。

おすすめ度(☆4.0)・・・入室出来れば☆5.0

★所在地:高市郡高取町市尾

★墳形:前方後円墳(全長66m、後円部経39m、高さ10m、前方部幅49m、高さ10m)前方部を北西に向ける。墳丘は2段築成であるが側面から見た場合、周濠(約3m)が狭い事で外堤しか見えず墳丘の1段目は外堤より高いことからあたかも3段築成のように見えるよう築造されています。(見かけの規模は100m以上に見える。) くびれ部両側に造り出しあり。周濠幅3m、外堤は幅12m、高さ3m。葺石、埴輪あり。尚、墳丘が盛土で築成されている為、石室の地盤安定及び排水用に、石室の下に基礎石を施しています。   

★石室:後円部南東に開口した全長9.4mの右片袖式横穴式で玄室長5.9m、幅2.6m、高2.9m、羨道は短く長さ3.2m、幅1.8m、高さ1.7m。盗掘穴は玄室天井石の一部を壊し開口していた為、羨道部は築成当時のままの状態で発見されています。尚、石室構築時、奥壁は一時的に開口されており石棺蓋を奥壁側から搬入後に閉塞石で閉じた可能性があります。

★棺:二上山の白色凝灰岩製の刳抜式家形石棺(長さ2.7m、幅1.3m、高さ1.4m)で四注屋根型の各面を直面に作り4個の縄掛突起の断面を丸く大きく造っています。同種の物としては権現堂古墳、笛吹神社古墳の石棺があります。大和でも最大級の大きさを誇り、石棺内側は全面に朱が塗られ外側もわずかに朱の痕跡が見られます。又、蓋の短辺側には家形状に線刻が残っています。

★出土遺物:石室内より鉄刀、刀子、鉄鏃、飾金具、馬具、玉類、須恵器、土師器、石室外では円筒埴輪、朝顔形埴輪、鳥型木製品他が出土。

★築造年代:6世紀初頭。

★発掘調査:1978年、2004~2007年

★被葬者:候補として大臣許勢男人(おおおみこせのおびと)があげられる。

 ★奈良ソムリエ検定テキスト掲載古墳

 

参考文献】

・ヤマト王権と葛城氏(近つ飛鳥博物館)

・継体天皇とヤマト(橿原考古学研究所付属博物館)

・石棺から古墳時代を考える 間壁忠彦氏

・古墳の被葬者を推理する(白石太一郎氏)

・大和の古墳を語る(伊藤勇輔氏ほか) 

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