くるまぎ

車木ケンノウ古墳(斉明天皇陵)

 

 斉明天皇は日本書紀では661年に68才で没した後667年「小市岡上陵」(おちのおかのうえ)に葬られ、間人皇女と合葬され、陵の前には太田皇女が葬られているとあります。この車木ケンノウ古墳が斉明陵に治定された根拠としては①地元では、この地を天皇山と呼んでいた事②周辺に陪塚とされる古墳(太田皇女墓)があること③続日本書紀に越智山陵の崩壊の記事がみられ、この地は崩れやすい地形である事。④1696年の「前王廟陵記」に場所は「越智岡の宗我川上にあり」とされ、ほぼ一致するということですが、積極的に斉明天皇陵とするには決め手となるようなものはなく、近年の調査の成果から、斎明(皇極)天皇陵は牽牛子塚古墳と考えるのが考古学会の定説かと思います。

おすすめ度(☆3.0) 

斉明陵のある丘陵                       大田皇女墓

 

★所在地:高市郡高取町車木

★墳形:真弓丘の西端部にあり、丘の西方を北流する曽我川を見下ろす頂上の古墳状の隆起を斉明陵として治定している。古墳とすれば円墳で径は約45m、高さ約10mぐらいと思われる。    

★埋葬施設:不明

★出土遺物:不明

★築造年代:不明

★発掘調査:未

★被葬者:斎明(皇極)天皇、間人皇女、健王として治定されているが可能性は薄い。現斉明陵が存在する丘は西方を北流する曽我川を見下ろす丘陵の頂部にあり付近には古墳状隆起も見られるので古墳ではないと否定は出来ない。八角墳と確定した牽午子塚古墳を斉明天皇陵と考える研究者が多い。以前は岩屋山古墳小谷古墳も斉明陵の候補として考える研究者もあったが小谷古墳の場合は一時的に斉明天皇陵とされた時期もあったが、天皇陵として規模的にはそぐわない。岩屋山古墳については斉明天皇の初葬墓と考える研究者(今尾文昭氏)の説も興味深い。

 

【参考文献】

・天皇陵古墳を歩く(今尾文昭氏)

・天皇陵総覧 斉明天皇陵(小池香津江氏)

・牽牛子塚古墳発掘調査報告書(明日香村教育委員会)

 

行き方