みむろやま
数少ない双室墳の古墳です。双室墳について楠元哲夫氏は、一墳丘中に複数の石室さえ存在すればそのすべてを双室墳と呼びうる可能性があることから、次のように定義されている。①墳丘築造当初からあらかじめ石室2基分の構築スペースを確保している事 ②一墳丘中の2基の規模・形態が近く、その相互の位置が対象になり、開口方向なども一致すること。墳丘軸線を中心に折り返せば二つの石室が重なり合う企画性である事。つまり墳丘の築成と2基の石室構築に関わる設計図、意図的な一墳丘二石室造営計画が予め準備されている事を双室墳の条件としたいとされています。この定義に合致する双室墳は現状9例が知られるのみで、県下では他に葛城市の夫婦塚古墳と、桜井市の森貝3号墳が知られていますが、いずれも山奥の難関古墳で古墳探索マニアでないと探すのは難しいと思われます。その点、この三室山2号、3号は奈良県と大阪府の県境にある三室山の中腹にある古墳で、比較的見つけやすい古墳です。立野の住宅街を通り、登山口から歩いて約7~8分の所にあります。古墳には合わせて4つの石室があるのですが、入れる石室は2号墳南石室だけです。持ち送りのほとんどない細長い箱状の古墳で石材は切石状の割石が使われています。こうした珍しい双室墳がなぜ2基もこの地に築かれたのかはわかりませんが、古墳時代の終末期の固有の墓制として注目すべき古墳かと思います。現在埋まったままになっている他の石室の調査が待たれます。
おすすめ度(☆4.0)
★所在地:生駒郡三郷町立野57の2
★墳形:方墳、丘陵の東斜面中段に築かれ2号墳、3号墳共に其々双室墳で長辺21.5m、短辺17.5mという同一規模で築造され更に2基を取り囲む形でコの字の堀割が巡っています。
★石室:2号墳、3号墳共に2基の石室が存在し、いずれも東向きに開口。(ただし現状は2号墳南石室のみ見学可能。規模は全長4.2m、幅1.3m、現高1.2mの無袖式。壁面はほとんど持ち送りがない。ほかの2号墳北石室、3号墳北石室もほぼ同一形態、同一規模の石室とのことですが現状は見られません)
★棺:不明
★出土遺物:不明
★築造年代:7世紀前半
★発掘調査:測量調査のみ。
★被葬者:不明
2号墳南石室
3号墳北石室
【参考文献】
・舞谷古墳群の研究 第4節 一墳丘複数横穴式石室墳の諸問題(楠元哲夫氏)
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