わきがみかんすづか

掖上鑵子塚古墳

  墳丘規模以上に大きく感じる古墳です。県内で周濠跡がこれだけ見事に残っているのは、ここと川合大塚山古墳かと思います。雑草と雑木でに阻まれ墳丘内には、とても入れそうな感じではなかったのですが、一度だけ墳丘の中に入った事があります。後円部の主体部周辺は大きく凹み、大がかりな盗掘が行われていたことを物語っており、周辺には小石材が散乱していました。

おすすめ度(☆4.5)

★所在地:御所市柏原

★墳形:前方後円墳(全長150m、後円部径102m、高さ17.5m、前方部推定復元幅101m、高さ12m)埴輪列、葺石あり。後円部3段、前方部2段築成で前方部を南西に向ける。後円部の径に対して前方部の長さが約1/2と短く帆立貝式古墳と前方後円墳の中間的な要素を持つ。尚、前方部南側の周濠がゆがんでいるが隣接する陪塚?とされる円墳の影響によるものである。

★埋葬施設:後円部中央に盗掘跡あり、江戸時代の文献に長持型石棺があった事を伝えている事及び現在も墳頂部で板石が散乱している事より竪穴式石室の可能性が高い。

★出土遺物:竪穴式の中に長持形石棺が安置されていたとも、直接石棺が納められていたとも伝えられている。江戸時代の絵図(1788年の大和御陵図)でも後円部に石棺の一部が描かれている

★出土遺物:埋葬部は未調査であるが盗掘により掖上鑵子塚古墳出土と伝えられるものが多数あり、金銅製帯金具、鉄地金銅張挂甲小札、小型垂飾金具、琴柱形石製品等がある。

★築造年代:5世紀後半

★発掘調査:1970年代に前方部周濠部の調査がおこなわれている。

★被葬者:古くは武内宿禰墓、考安天皇陵、日本武尊と江戸時代の本にはあるがその可能性はない。 

 

【参考文献】

・ヤマト王権と葛城氏(近つ飛鳥博物館)

・遺物が語る大和の古墳時代(泉森皎氏・伊藤勇輔氏)

・大和の古墳を語る(伊藤勇輔氏ほか)

 

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