豊田トンド山古墳

 豊田トンド山古墳は奈良県遺跡地図には08D-0306として認識されていましたが、その実態は明らかではなく、2014~2015年の調査で、明らかになりました。石上豊田古墳群の中では石上大塚古墳ウワナリ塚古墳ハミ塚古墳に次ぐ規模を持ち、同時期(7世紀前半)の古墳の中では最有力の首長墓と考えられています。2015年の現地説明会には、たくさんの考古学ファンがつめかけました。しかし公開は当日限りだったのが残念です。一般の方々にも興味や関心を持ってもらう絶好の機会なのに・・・対応も大変かと思いますが、もっと有効に活用してほしいなと思いました。

おすすめ度(☆3.0)但し調査後埋め戻し 

★所在地:天理市豊田町

★墳形:天理市豊田町の集落北側の、布留川の形成した扇状地・段丘を見下ろす丘陵の頂上部(114m)に築造された、いわゆる山寄せの古墳。墳形は直径30m程度の円墳と思われます。

★石室:両袖式横穴式石室で、天井石と側壁の一部は失われていました。石室の規模は全長約9.4m、玄室長約4.9m、幅(奥壁部)約2m、羨道部は長さ約4.5m、幅(玄門部)約1.7m。床面には直形30cm程度の床石が敷き詰められています。

★棺:調査時、玄室内を中心に破砕された二上山の凝灰岩が多数見つかっており、石棺が安置されていたと考えられています。又、羨道部の床面には多量のベンガラべ赤く変色している部分があり、付近から鉄釘が多数見つかっていることより、羨道部には木棺が追葬されていた可能性がかんがえられます。

★出土遺物:石室内は盗掘を受けていましたが土師器、須恵器のほか鉄製品(鉄鏃、太刀の破片)などの副葬品が出土しています。

★築造年代:7世紀前半(出土した須恵器より)

★発掘調査:2014年12月~2015年7月(都市計画道路事業に伴う調査)現在は埋め戻されている。現地説明会は2015年5月2日に行われました。

★被葬者:立地条件や石室規模から見て布留遺跡に関わる有力な首長墓とみられます。 

 

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