なかやまおおつか

中山大塚古墳

 オオヤマト古墳群は初期大和政権成立のカギを握る古墳群ですが、発掘例が少なく、この古墳の発掘調査に期待が高まりましたが、石室内は徹底的に盗掘され、わずかに銅鏡や鉄器の破片が見つかったに過ぎませんでした。以降ひっそりと昔の静かな姿に戻っています。しかし特殊器台、特殊壷の破片が出土した事などにより、初期の前方後円墳と確認され、初期ヤマト政権の権力構造を研究する上で欠くことのできない重要な古墳となっています。山の辺の道沿いにあり墳頂へも案外簡単に上れます。登り口がわかりにくいかも知れませんが前方部裾の稚宮神社を通り抜け、前方部の東側の角ぐらいに後円部に行く道があり4分前後で登れます。墳頂には墓壙と石室部分がわかるように植え込みがあり、雰囲気がよくつかめるように工夫されています。余談ですが、この古墳のあとで発掘調査された黒塚古墳も是非こうして欲しかったと思います。尚、2014.6.20県史跡より、国史跡(大和古墳群として)

おすすめ度(☆4.0) 

★所在地:天理市中山町大塚

★墳形:前方後円墳(復元長は全長132m、後円部径73m、後円部高さ11m、前方部幅63m)後円部2段、前方部1段で築成。周濠状の区画が確認されていますが周濠かどうかは不明。前方部を南南西に向けています。

★埋葬施設:竪穴式石室(南北約17m、東西約12mの墓壙に内法長7.5m、高さ2m、幅1.35~1.4mの石室を構築している。石室は床から50㎝ほどは垂直に積み上辺は急激に持ち送りをし、小型の天井石を乗せています。棺は粘土棺床上に長さ6.3mの割り竹型木棺が置かれていました。

★出土遺物:銅鏡片2点、鉄器の破片36点、特殊埴輪。

★築造年代:3世紀終わり?

★発掘調査:1985、1993、1994年等、5次にわたり実施。1994年の第5次調査では墳丘の全貌が明らかになり、後円部の墳頂を除くほぼ全面を葺き石が覆う古墳であり、それも何重にも積み重ねた構造で、葺石の量はなんと約8000トンと推定されています。  

★被葬者:不明  

★奈良ソムリエ検定テキスト掲載古墳 

    

 【参考文献】

・中山大塚古墳調査概報(橿原考古学研究所)

・山の辺の道の遺跡を訪ねて(天理市教育委員会) 

・大和の古墳Ⅰ 奈良盆地東南部の古墳(置田雅和氏)

・大和の古墳Ⅰ 大和における前期古墳の立地と構造(泉武氏) 

・記紀の考古学 倭大国魂神と中山大塚古墳(森浩一氏)

 

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