たいえ

高家古墳群

 この古墳群は調査後殆ど埋め戻されているため今は長瀬藪1号墳等、一部の古墳を除いて見ることが出来ません。高家ヒラノ2号墳、春日神社境内古墳、長瀬藪1号墳についてはこのホームページでも紹介済ですので、現地に来られたときはこの三基を見られるといいでしょう。

おすすめ度(☆1.5)

★所在地:桜井市高家

 当古墳群は標高200m前後の山間部を流れる米川(よねがわ)の東側に分布する横穴式石室墳の群集墳です。従来は長瀬藪1号墳を盟主とした長瀬藪古墳群(約40基)や高家ヒラノ古墳群として知られていましたが1993年と1994年に土地区画整備事業に伴う発掘調査で水田下に埋没した27基の古墳が見つかり周知の古墳群も総称する形で「高家古墳群」と命名されました。これらの古墳の築造は6世紀末~7世紀中葉にかけてのものがもっとも多く見つかっていますが、一部7世紀後半の古墳も含まれています。いずれの古墳も水田の造成で天井石が失われていますが殆ど径10m前後の円墳で出土品も土器の他、木棺に使われていた鉄釘が一番多く他には耳環、鉄刀、棺座金具が少々と、どの古墳でも同じような状況だったようです。この時の調査で総数は70基となりましたが更に埋没古墳がある事が予想されおそらく100基を超える古墳群だったと思われます。古墳群の被葬者はこの場所が飛鳥や藤原京の近くにあることから宮都にかかわる官人層又は阿部氏とのかかわりも考えられています。

 

【参考文献】

・「桜井の横穴式石室を訪ねて」(桜井市教育委員会)