まきむくいしづか

纒向石塚古墳

 発掘調査当時の古墳周辺は、未だ果樹園や畑で纒向遺跡として、世間一般にはまだ認知されてない時でした。調査の結果、周濠からおびただしい数の土器や木製品が出土し、土器の年代観から庄内1式(3世紀初頭)の日本最古の古墳ではないかと話題を呼びました。初期ヤマト王権発祥の地の、可能性の高い纒向遺跡内にあり、日本最古の前方後円墳の可能性さえあります。現在は国指定史跡として保存され、墳丘にも自由に上がれます。但し墳丘そのものは大きく削平され、前方部にいたっては道路で寸断され、同じ保存をするなら道路は迂回させ復元すべきと思うのですが・・・そういうわけで、現状を見るだけでは恐らく感じが掴めないと思います、墳丘図(復元図)などを参考にした見学がお薦めです。

おすすめ度(☆3.0) 

★所在地:桜井市太田  

★墳形:纒向型・前方後円墳(全長96m)後円部(経64m)が楕円形で小さな前方部がバチ形に開く。本来は後円部3段、前方部には段築なし、墳丘を囲む周濠が馬蹄形で巨大古墳に移行する過渡期の周濠の原形とみられています。

★埋葬施設:残存せず。「石塚」という名前を持ちますが葺石は確認されていません。

★出土遺物:弧紋円盤,朱塗の鶏形木製品 、木製鋤 、木製鍬 、横槌 、水槽、建築部材等の木製品 、土師器

★築造年代:築造時期に関しては3世紀初頭~中頃までの説があり、築造時期は未確定ですが   

 纒向古墳群の中では、最も早く築造されたと考えられています。

●盛土内出土土器を評価する考え→庄内1式期、3世紀前半。

●西側周濠の出土土器を評価する考え→庄内0式期、3世紀初頭。

●導水溝出土土器を評価する考え→庄内3式期、3世紀中頃。

尚、周濠から出土した桧の板材は、年輪年代測定法で200年ごろの伐採と確認されています。

★発掘調査:1971年から数次

★被葬者:纒向遺跡を残した首長。

★奈良ソムリエ検定テキスト掲載古墳(纒向古墳群として)

 

 

【参考文献】 

・最初の巨大古墳 箸墓古墳(清水真一氏)

・日本の古代遺跡 奈良中部(寺澤薫氏ほか)

・大和の古墳を語る (河上邦彦氏ほか)

・遺物が語る大和の古墳時代(泉森皎氏・伊藤勇輔氏) 

・大和の古墳Ⅰ 大和における前期古墳の立地と構造(泉武氏)

・日本の古代遺跡5 奈良中部(寺澤薫氏) 

・大和の古代遺跡案内(泉森皎氏)

 

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