いけのうち

池ノ内古墳群

 このあたりは古代の宮跡が集中している磐余(いわれ)の地域と考えられており、周辺の遺跡も含め散策されればいいハイキングコースでもあります。全て粘土槨に木棺直葬したタイプで、墳丘の形状もわかり難いので、墳丘図だけは持って行かれたほうがいいかと思います。出土品のほとんどは橿原考古学研究所が保管していますが、桜井埋蔵文化財センターで展示品されてる事もあります。

おすすめ度(☆3.0) 

★所在地:桜井市池ノ内

★概要:桜井市の西南部に位置する古墳群で、1970年県立農業大学校の建設に先立ち、橿原考古学研究所で調査されました。小規模な古墳群ですが、鏡、勾玉、管玉、石釧、琴形石製品、鏃形石製品、鉄製武器類など豊富な副葬品が出土しています。これらの出土品から4世紀末~5世紀にかけて築造された、前期古墳的な性格を持つ古墳群として、前方後円墳を作るまでには至らなかったものの、中央政権に君臨した豪族層の墳墓群の可能性が考えられます。

   

●1号墳・・・円墳(径、東西13m、南北10m)自然丘陵の頂部に二つの墓壙を平行に堀り、割竹形木棺を直葬しています。棺の大きさは長さ約3.6m、幅0.4~0.5m。出土遺物は 東棺で内行花文鏡(銘文なし、完形11.7cm)、管玉、ガラス製小玉、鉄斧、石釧。西棺では変形重圏鋸歯文帯鏡(四区渦文鏡)(銘文なし、完形12.6cm)、勾玉、管玉、琥珀製棗玉、ガラス製小玉、鉄鍬、刀子、ヤリガンナ、石釧、石杵、土師器。

●2号墳・・・円墳(径、東西30m、南北22m)ですが、明確な墳丘は見られない。主体部は粘土槨(長さ約7m)で、礫を用いた排水設備があるのが特徴です。出土品は土師器、埴輪片等

●3号墳・・・円墳(径10m)主体部は粘土槨で組合式の箱型木棺と推定されています。槨の中央部は盗掘されていたが、直刀、鉄剣、鉄鏃、鉄斧、鉄器、車輪石片などが出土しています。

●4号墳・・・円墳(径10m?)と思われますが、埋葬主体部は確認されていません。出土した壷形土器片から、古墳ではなく祭祀の場所であった可能性が高いと考えられています。

●5号墳・・・円墳(径15~16m)で4基の木棺直葬墓を持ち、古墳群の中では一番沢山の遺物が出土しており、池ノ内古墳群の中で最盛期に築造された古墳とされています。

・第1棺:変形獣形鏡(銘文なし、完形13cm)勾玉、棗玉、切子玉、臼玉、櫛、刀子、鉄斧、刀、鉄鏃、短甲、石釧。

・第2棺:三角縁竜虎鏡(銘文なし、完形22.1cm)勾玉、管玉、臼玉、櫛、剣、刀、鉄鏃。

・第3棺:琴柱形石製品鏡、紡錘車、勾玉、管玉、垂飾品、筒形銅器片、櫛、直刀、鉄剣。

・第4棺:珠文鏡(銘文なし、欠損5.6cm)剣,刀。

●6号墳(丸山古墳)・・・古墳群中最北端にある円墳状の古墳で、主体部は中央部が盗掘が激しく、両端だけが遺存し、組合式木棺と推定されています。出土品は鉄剣、鉄鏃、鉄斧、鎌、鋸形鉄製品、手鎌形鉄製品、刀子など。

●7号墳(ヒョウタン山古墳)・・・丘陵の南端にある円墳(径、東西11m、南北13.5m、高さ2m)で2基の埋葬主体部を持つ。東棺は全長2.8m、幅0.75mの組合せ式木棺、西棺は南半分が失われていたが東棺と同様のものと推定されています。出土遺物は直刀、鉄剣、鉄鏃、鏃形石製品。

●8号墳・・・円墳と思われます。埋葬主体部は礫状施設状のものがあった以外は明確ではなく、遺物も見つかっていません。 

 

【参考文献】

・遺物が語る大和の古墳時代(泉森皎氏・伊藤勇輔氏)

・大和の古代遺跡案内(泉森皎氏)

・桜井市史

・奈良県遺跡地図

 

行き方