北花内大塚古墳

  北花内大塚古墳は、古代豪族「葛城氏」の本拠地にある前方後円墳で火振山古墳や屋敷山古墳に続き造られた古墳で、後続する古墳として二塚古墳が知られます。特出すべきは他の3基はいずれも山麓部に築かれているのに対し、この古墳は盆地平野部に築造され周濠も持っている事から飯豊陵と考えた場合の特殊性を示唆しています。またこの古墳の築造時期が「記紀」に伝える飯豊天皇の時期と合致し、大字名の花内は陵墓名の埴口(はにぐち)が転訛した可能性などから、現在の治定通り飯豊天皇陵(葛城埴口丘陵)とみてよいのではないかと考えられています。 

おすすめ度(☆3.0)

★所在地:葛城市北花内

★墳形:全長約90m、後円部径約50m、前方部幅約70mの前方後円墳で、前方部を南西に向け、幅10~15mの周濠が巡っています。調査結果から築造当時は現在よりやや広かった事が判っています。墳丘は江戸時代初期に神社が遷座された為、墳丘上部は著しく改変を受けています(1863年・文久3年に墳丘上にあった建物を撤去し修復しています。)

★埋葬施設:不明

★出土遺物:円筒埴輪、形象埴輪、笠形木製品

★築造年代:6世紀前半(後円部径が50mに対し前方部幅が70mと広い後期前方後円墳の特徴を持っている事と出土している埴輪の型式から)

★調査:外堤周辺部(1975年)、外堤桶管改修箇所・外堤護岸工事区域(1979年、1981年)整備工事に伴う事前調査(2006年)

★被葬者:不明 陵墓として「飯豊天皇埴口丘陵」に治定されています。

 

【参考文献】

・天皇陵古墳を歩く(今尾文昭氏)

・「天皇陵」総覧 飯豊皇女陵(藤田和尊氏) 

・大和の古墳を歩く(森下恵介氏)

 

行き方

近鉄新庄駅のそばにありすぐに見つけやすい古墳です。このブログでは飯豊天皇の人物像については特に触れていませんが、最初の女帝と言われる謎多き飯豊天皇を思いを浮かべながら見学するのもいいでしょう。