やなぎもとおおつか

柳本大塚古墳

 柳本古墳群に属し、古道の上ツ道沿いにある石名塚古墳、ノベラ古墳と共に支群を形成しています。いずれも前方部がくびれ部から先端までの幅がほぼ同じの、柄鏡式(桜井茶臼山古墳タイプ)で、墳丘も全長100m前後の規模の古墳です。近辺にある他の2支群(山麓にある柳本支群と渋谷支群)と、ある時期には併行して築造された可能性もありますが、墳形が異なります。1918年に当時の地主らが発掘したりとか、過去に何度も盗掘されています。2009年に長らく行方不明になっていた、この古墳のものと思われる木棺が発見され注目を浴びました。現在は植木の植林や畑地となっており、墳形は大きく変わっています。見学は民有地なのでそのあたりは配慮しながら、後円部に上ってみるといいでしょう。箸墓古墳が形よく眺められ、改めてこの場所が上ツ道沿いの一等地であることが確認できる事と思います。また後円部墳頂近くに竪穴式石室のものかと思われる石材が、一箇所に集められており見る事が出来ます。

おすすめ度(☆3.5) 

★所在地:天理市柳本町大塚

★墳形:前方後円墳(復元全長94m、後円部復元径54m、高さ現存6m、前方部復元幅29m、現存高さ約3.4m)前方部を南に向ける。30m前後の周濠の痕跡あり。

★埋葬施設:竪穴式石室。他に小石室あり。長さ3.6mの割石積みの石室から明治時代に取り出された木棺が長らく行方不明になっていましたが、2009年1月に桜井市三輪の宗教法人「大神教」の本院拝殿に額として掲げられ残存している事が、橿考研の調査(蛍光エックス線分析)で判明しました。古墳の木棺としては最古級のものです。(現在も当地で掲げられています) 

★出土遺物:長大な竪穴式石室に接した小石室から内行花文鏡が出土。後漢の鏡をモデルにした国産品で径が約40㎝もあり古墳出土の内行花文鏡としてはわが国で最大のものである。このような例は下池山古墳でもあり、いずれも遺体に副葬したものではなく葬送儀礼の為、大鏡を作り儀礼終了後に小石室に埋葬された可能性がある。他に鉄鏃、鉄器片。

★築造年代:4世紀前半

★発掘調査:明治、大正年間に乱掘されています。

★被葬者:不明 

 

【参考文献】

・天理の古墳100(天理市教育委員会) 

・山の辺の道の遺跡を訪ねて(天理市教育委員会) 

 

行き方