おおとものひめみこ

大伴皇女墓

 現在、宮内庁管轄の陵墓(押坂内陵)として管理されています。拝所からは古墳の形状がよく判りませんが、古墳の周囲は一周できるので回ってみると円墳らしい高まりが確認できます。大きさは径が約15m前後、高さは約3mです。見学は鏡王女墓、段ノ塚古墳(舒明天皇陵)とセットで探訪がおすすめです。拝所付近からの眺望は万葉学者の犬養孝さんも絶賛された場所で、小鳥のさえずりを聞きながら万葉の世界を楽しむにはうってつけの場所かと思います。 

おすすめ度(☆3.0)

★所在地:桜井市忍阪 

★墳形:外鎌山の南斜面上にあり円墳と考えられています。 

★埋葬施設:不明とされてきましたが、横穴式石室の可能性が大。※メモに記載

★出土遺物:不明 

★築造年代:7世紀?(三方山囲みの南面する場所に位置する。終末期古墳の可能性がある)

★発掘調査:未

★被葬者:延喜諸陵式には押坂内墓 大伴皇女 在大和国城上郡押坂陵域内 無守戸と記載されています。大伴皇女は欽明天皇と堅塩姫の皇女で用明天皇、推古天皇とは兄妹の関係にあります。しかしながら血縁関係の薄い舒明陵の領域内に何故あるかは不明ですが、ひとつの考えとして桜井市史に、元々先に大伴皇女墓があり、後に舒明陵がつくられたという仮説もうなづけるのですが、果たしてどうでしょうか?

 

【参考文献】

・天皇陵古墳を歩く(今尾文昭氏)

 

メモ

考古学者で天皇陵研究の第一人者の今尾文昭氏は著書「天皇陵古墳を歩く」の中で大伴皇女墓について次のように考察をされています。

・1879年(明治12年)と翌年の情報をもとに作成された「明治12年山陵絵図」の平面図と鳥瞰図に2枚天井石を持つ埋葬施設が書かれており、横穴式石室とみなしていい。石室の内法が2m程度で入口に当たる部分は玄門部と思われ、使用石材や石組みの感じから7世紀後葉の特徴がある。

出所:天皇陵を歩く(今尾文昭氏)

またこの記事とは別に昭和14年に出された嶽山古墳の紹介の記事の中で「大伴皇女の墓には奥室があるという所伝がある」という記事があり興味をひかれます。 

行き方