カナヅカ古墳

 別名で平田岩屋古墳とも呼ばれ江戸時代から知られています。1890年頃石室が破壊され外に(橿原神宮の創建?)持ち出されていたようですが当時の政治的な配慮で持ち出しは中止となり、その後(1892年)に欽明天皇陵の陪冢に指定されました。なお 現在、欽明天皇陵の前方部のすぐ西にある吉備姫王墓は古墳かどうかも疑わしい事や、吉備姫王の没年とカナゾカ古墳の築造年代に矛盾がない事、墳丘の規模などから、カナゾカ古墳こそが真の吉備姫王墓である可能性が高いと考えられています。

 

おすすめ度(☆3.0)重要な古墳ですが・・


★所在地:高市郡明日香村平田

★墳形:現状は円墳状ですが方墳(一辺35m、高さ6~8m)

★石室:横穴式石室(全長16m、玄室長約5.5m、幅約3.6m、高さ2.7m、羨道約10m)最大3mの長さの切石加工された石材を使った石室で同じ明日香村の岩屋山古墳と同タイプの石室様式と考えられています。1995年から1998年にかけて陵墓指定外を範囲確認調査され、破壊された石室の一部が見つかっています。

★棺:石棺?

★出土遺物:不明

★築造年代:7世紀中頃

★発掘調査:1995~1998年(但し陵墓指定外区域)

★被葬者:吉備姫王の可能性が高いと考えられています。

メモ

のちに(日本)考古学会を設立した三宅米吉博士は1892年に現地を実見し次のように述べています。「鬼厠より平田村に出る路の傍なる丘の中腹にありし塚穴は先年余が見しときには大半土に覆はれその上に草葛など生い茂りて只其の口のみ露出し、屋根と側壁に持ちいたる大石の端のみ見えたり、口は土にて塞がれたれど其の上の石の隅に狐狸の出入する程の孔ありたり」と盗掘前の状況を記している。更に「此の塚、内部の構造は例の方形なる玄室に羨道つき入口は南に向かえるものなるが、其の石材は実に巨大なるものにて中には長さ1丈許幅5尺もあるものあり而して皆磨精工、必ず由ある陵墓と見えたり」  

【参考文献】

・天皇陵古墳を歩く(今尾文昭氏)

・飛鳥の古墳(明日香村)

・日本の古代遺跡 奈良飛鳥(菅谷文則氏) 

行き方&見学記

 このあたり、何度となく通っていましたがノーマークの古墳でした。欽明天皇陵の東側にあるんですが何の表示もなくパッと見には、ただの小高い丘という感じです。よくよく見ると壊れた柵に「立ち入り禁止・宮内庁」とあり、やっと判る程度です。目印は横の農作業用の小屋です。今までは石室が見られるわけでもなく昔の見聞録を頭に浮かべ、イメージを膨らませて見る程度だったのですが2022年9月の訪問時、墳丘北側で写真のような石材を見つけました。是非ご覧ください横穴式石室の石材と思われます。余談ですが吉備姫王は茅渟王(平野塚穴山古墳が有力)の妃で、斉明天皇の母親です。しかし此の場所に岩屋山古墳タイプがあったとは。