はしはか

箸墓古墳

 日本書紀に当古墳の説話も残されている日本最初の大型前方後円墳。邪馬台国の卑弥呼の墓との説もある我が国の代表的な前方後円墳で、その優美さは言葉では言い尽くせないほどです。特に池側から見る四季それぞれの表情は卑弥呼を意識して見るせいか女性的な美しさが感じられる一方で墳丘側面を後円部を望む形で見るとダイナミックな曲線美で、その美しさに感動をおぼえます。(現在のデザインにも負けない悠久の美とでもいうんでしょうか)この古墳の被葬者論議が盛んに行なわれていますが、卑弥呼の墓であっても、そうでなくても、決してそんな事で価値が左右される古墳ではありません。古墳周りは一周できるので、おすすめです。それぞれの表情が楽しめます。

おすすめ度(☆5.0)

箸墓古墳の動画(下の画面上をクリック) 


★ 所在地:桜井市箸中 

★墳形:前方後円墳(全長276m、前方部幅132m、高さ17m、後円部径156m、高さ26m)葺石あり。埴輪は後円部墳頂やその周辺から吉備地方の都月型と同型式の特殊壺形埴輪と特殊器台型埴輪が採集されています。(1976年)又、前方部頂上部やその付近からは底部に穴の空いた複合口縁の壺形土器が採集されています。墳丘は前方部4段、後円部5段。1992年前方部南側の調査の結果この古墳は大半の封土を盛土した可能性が高いことが判明しています。又、古墳の周囲には幅約10m程度の周濠と、その外側に基底幅15mを越える大きな外堤が巡っていた可能性あり。また外堤の所々には渡り堤が築造当初からあったと考えられています。

★埋葬施設:墳丘裾部分に板石が散見される事より竪穴式石室と思われます。

★出土遺物:陵墓指定地外の調査中出土の木製輪鎧(4世紀初め)等の木製品、土器破片。宮内庁によって採集された特殊壺形埴輪と特殊器台型埴輪

★築造年代:3世紀中葉ないし中葉すぎ(後円部墳頂の埴輪及び周濠部等から出土の土器の型式及び墳丘の形態より)

★発掘調査:未調査とされてきたが2012年に朝日新聞社のスクープで1968年に宮内庁で後円部頂上付近で小規模な発掘調査が行われていた事が判明(周辺部の陵墓指定外は桜井市教育委員会で断続的に発掘調査中)

★被葬者:卑弥呼?  

★奈良ソムリエ検定テキスト掲載古墳

 

箸墓関連ニュース

●2008年8月27日・・・新聞発表によると前方部の外側から周濠の一部が同市教委の調査で確認されました。市教委が前方部の前面を南西約70mを発掘したところ、長さ約33m分「落込み状遺構」(深さ1.3m)を確認し底に水があった事を示す腐植層があり、落込みと墳丘の位置関係、出土土器の年代から外濠の一部と判断されました。外濠は、これまで墳丘北側でも一部検出されていたようで、今回の南と合わせ、墳丘を一周する馬蹄形で、内堤を挟んで内濠と外濠がめぐる二重構造であった事もほぼ確定され、周濠部を含む古墳の全長は約450mとなります。

●2009年5月29日・・・築造時期について国立歴史民族博物館の研究グループが、同古墳の周濠部から出土した「布留0式」の土器に付着した炭化物等20点を「放射性炭素年代測定法」と呼ばれる手法を使い分析の結果、240~260年と推定されるとの調査結果を発表されました。「魏志倭人伝」に、卑弥呼は248年頃死亡したとされたとあり、関連が注目されますがサンプルの妥当性や、精度や測定データ処理に対し、慎重な見方をする研究者も少なくはありません。

●2012年6月5日・・・橿考研が航空レーザー測量を用い箸墓古墳(桜井市)と西殿塚古墳の3D画像を作ったと発表がありました。いずれも陵墓で立ち入りが禁止され、1920年代の測量結果しかなかったが、今回の測量で新事実が確認されました。それによりますと、箸墓古墳は後円部5段、前方部4段からなり、前方部の段築は前面のみと考えられていましたが、側面にも段築が存在している事が判明しました。また前方部先端が撥形に開く可能性も指摘されてきましたが、今回の航空レーザー調査では認められず。その他、時期は不明ですが後円部頂部の円丘を囲む環状の高まりが存在することもわかりました。(毎日新聞・奈良版より)

●2012年9月9日

宮内庁がこれまで公開していなかった発掘調査の記録を朝日新聞が情報公開請求で入手し公表されました。まさかこんなことがあるなんて・・

http://www.asahi.com/culture/update/0909/OSK201209080179.html

●2013年2月20日・・・宮内庁は原則陵墓は非公開であるが、2007年に内規を改め、研究者側からの要望に応じて立ち入りを認めており、今回を含め計14件(当時)を許可しています。今回は待望の箸墓古墳と西殿塚古墳について実施されました。ただ立ち入りと言っても墳丘の最下段を一周し、地表に見える葺石や土器などの遺物の状態、墳丘の形などを観察する程度ですが、専門家の知見や印象によって研究が加速されることが期待されます。(毎日新聞より)

●2018年4月19日・・・宮内庁書陵部がデジタル公開した最新号(69号)によると箸墓古墳で出土した特殊器台や円筒埴輪、壺形埴輪の土に含まれる砂礫については、奥田尚奈良県立橿原考古学研究所特別指導研究員が、顕微鏡観察で表面に含まれる砂礫を調査した結果、後円部出土の特殊器台や円筒埴輪など54点は、すべてが吉備の総社平野の砂礫を含んでいました。一方、前方部出土の壺形土器と壺形埴輪26点の砂礫は、桜井市茅原付近のものと推定でき桜井茶臼山古墳出土の土器とも成分が酷似している事がわかりました。後円部には被葬者の埋葬施設が設けられているとみられ、被葬者と吉備との強い関係がうかがえます。しかしなぜ前方部と後円部で違うのか? 益々謎が膨らみます。

 

【参考文献】

・天皇陵古墳を歩く(今尾文昭氏)

・古墳の被葬者を推理する(白石太一郎氏)

・天皇陵を考える(箸墓古墳と大市墓・・・白石太一郎氏)

・最初の巨大古墳 箸墓古墳(清水眞一氏)

・箸墓・西殿塚古墳赤色立体地図の作成(橿原考古学研究所)

・大和の古墳を語る(河上邦彦氏ほか)

・HASHIHAKAーはじまりの前方後円墳ー(桜井市埋蔵文化財センター)

・「天皇陵」総覧 箸墓考 (吉野裕子氏)

・「天皇陵」総覧 箸墓古墳(丸山竜平氏)

・歴史読本 古代天皇と巨大古墳の謎 卑弥呼の墓は箸墓か(丸山竜平)

・日本の遺跡発掘物語 箸墓古墳(内倉武久氏)

・記紀の考古学 箸墓伝説と纏向遺跡(森浩一氏)

・石の考古学(奥田尚氏)

・古墳の謎(田辺昭三氏)

 

行き方

2022.2.18現在 墳丘裾周辺が間伐され段築がよく見えるようになりました。