墳丘は墳丘図で見る限りは未だ前方後円墳の名残を残していますが、調査後に墳丘上に建物が建てられ、目を覆いたくなるほどに改変され、ここまで来てしまったら、もう手遅れと言う感じがする古墳ですが、大和高田市にしては珍しく立派な解説板が最近、建てられているのは皮肉です。
★所在地:大和高田市築山字インキ山
★墳形:南西から北東に向けて伸びる尾根上に作られた小型の前方後円墳(全長約50m程度、後円部径22~26m、前方部約10m+α)後円部2段、前方部は1段築成と思われます。葺石及び埴輪はなし(但し追葬時の埴輪棺はある)
★埋葬施設:不明(木棺直葬の可能性あり)
★出土遺物:後円部南東裾で追葬されたと思われる円筒埴輪棺、くびれ部周辺から須恵器杯。
★築造年代:発見された須恵器杯から6世紀中頃の築造(河上邦彦氏は、この須恵器は後世のもので、古墳は5世紀代のものとの見解です)
★発掘調査:1996年
★被葬者:不明
【参考文献】
・大和葛城の大古墳群 馬見古墳群(河上邦彦氏)
・インキ山古墳調査 平成9年度奈良県市町村文化財発掘調査報告会資料1998
・馬見古墳群の基礎資料(河上邦彦氏)
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