ノムギ古墳

 我が国でも有数の古墳群であるオーヤマト古墳にあり、県道天理環状線建設に伴い調査された古墳です。発掘調査次第では出現期の前方後方墳として、スポットライトを浴びる可能性を十分に秘めた古墳と考えられていましたが、5次調査では後方部から期待されたような成果が出なかったことが残念です。発掘調査のため雑木が伐採されたため墳丘に上れるようになった反面、神秘性が失われた感じがしないではありません。尚、2014.6.20に国史跡に指定されています。

おすすめ度(☆3.5) 

★所在地:天理市萱生町・佐保庄町

★墳形:前方後方墳で前方部を西に向ける。(現状規模は全長約63m、後方部一辺約40m、高さ約3m、前方部長20m以上、幅12m)周濠(10~15m)の痕跡あり。埴輪、葺石あり。

★埋葬施設:不明(既に消滅の可能性が高いと考えられます)

★出土遺物:土師器、須恵器

★築造年代:3世紀後半~4世紀初

★調査:当初、墳形は1977年橿考研による墳丘測量調査で、全長63m.後円部経40mの前方後円墳とされていました。 

●1次調査→1996年(橿考研)古墳北側で、ほぼ直角に曲がる周濠北東隅部分が検出されたことにより前方後方墳の可能性が高まり、築造時期は周濠埋土から発見された円筒埴輪、鰭付円筒埴輪より4世紀後半頃とされました。 

●2次調査→2003年(橿考研)墳丘東側が県道天理環状線建設に伴い調査され、この調査で周濠の南東コーナーと、墳丘の南東コーナーが検出された事から、前方後方墳と確定されました。周濠から3世紀後半の壷の破片等が多量に出土しました。土器は東海地方や山陰地方に類似のものが多く、これらの地方との交流を示しています。但し1次調査で4世紀のものと思われる埴輪片も出土しており、築造年代は確定されていません。周濠は6世紀後半までに3回ほど掘り直されており祭祀が行われた可能性がかんがえられます。 

●3次調査→2010年(天理市教育委員会)後方部の南側墳丘裾部で2箇所調査され、以前に確認されている周濠の延長部が確認された他、従来未確認であった葺石が墳丘の裾部で検出されました。この他、古墳時代初頭から後期にかけての土師器や須恵器の破片も多数出土しました。

●4次調査→2011年(天理市教育委員会)3次調査区の西側の後方部の南側墳丘裾部で2箇所発掘調査され、ほぼ直角に曲がる南西のコーナー部が検出され、後方部は一辺40mの正方形であることが判明しました。築造時期は確定されていませんが3世紀末の最古級の大型前方後方墳の可能性が高いと思われます。前方部は墳丘図でもわかるように大幅に改変されており、墳形確定の為,引続き前方部の調査が行われる予定。現地説明会は2011年3月12日に行われました。 

●5次調査→国史跡の指定に向け引き続き2012年1月~2月にかけて行われ、同年の2月18日に現地説明会が行われました。今回は後方部の埋葬主体部と思われる場所を中心に、図のように4本のトレンチを設け調査されたものの、期待された埋葬施設は残念ながら、その痕跡さえ見つかりませんでした。考えられるのは①既に削平され消滅している?②今回のトレンチで発見されなかっただけで別の場所にある?の二通りが考えられ、担当者は断定を避け今回の現地説明会では墳丘南側斜面で葺石が見つかったことや、トレンチを深めに入れた事で築造前の表土層と盛土が見つかり、元々高台だった場所に2m以上盛り土した築造方法が確認できた事を中心に報告されていました。

  

【参考文献】

・天理の古墳100(天理市教育委員会) 

・山の辺の道の遺跡を訪ねて(天理市教育委員会)

 

行き方