しまのやま
平地にある巨大古墳で遠くからでもよく見えます。民有地の為、墳丘内への立入りはできませんが、周濠から見る景観はなかなかのもので、大和の古墳の中では垂任陵、ウワナベ古墳らとともに、周濠からの美しさが際立つ古墳です。(ただ残念なことに水質が悪く観光地化するには改善が望まれます。)2018.5.15付毎日新聞で川西町の教育委員会が島の山古墳の有効活用と墳丘裾部の水で浸食された部分の補修などを行う保存活用計画を策定したと報じられました。詳細は不明ですが整備後、是非墳丘内の立ち入り実現に向け町を挙げて取り組んでいただきたいと思います。また未調査の後円部の埋葬施設についても、将来、調査と復元を検討いただくことを願っています。
おすすめ度(☆4.5)
隣接する比売久波神社の境内にはこの古墳の竪穴式石室の天井石と見られる板石が踏み石として置かれています。また近くのふれあいセンターにも置かれその大きさを実感する事が出来ます。
★所在地:磯城郡川西町唐院
★墳形 :前方後円墳、全長195m、径105m、高さ15m、前方部幅103m、高さ10m )【復元長は全長200m】周濠あり(幅40~50m)葺石、埴輪あり。造り出しの痕跡あり。前方部を南東に向けています。
★埋葬施設:後円部の竪穴式石室は盗掘されていますが、近年発掘された前方部の埋葬施設(粘土槨)はほぼ未盗掘で、車輪石や鍬方形石が多量に発見されています。これらは棺を被う被覆粘土の中に封じ込められたかのように配置され、特に石製腕飾類は他に例をみない約1400点も出土しています。
★出土遺物:未盗掘の前方部埋葬施設から車輪石、鍬形石、石釧。後円部は明治時代に盗掘され碧玉製管玉、金製垂飾付金環、銅心金張金環、車輪石、勾玉、管玉、臼玉、石製模造品(刀子)、鉄地金銅張杏葉、異形銅製品等が出土。遺物は残念ながら各所に散在しています。
★築造年代:4世紀末~5世紀初頭
★発掘調査:1994年~2007年まで数次にわたり実施。
★被葬者:伝承としては蘇我入鹿、豊鍬入姫、糸井比売とその父等がありますが、古墳が築造されている川西町は6本もの河川が合流している所であり、大和の水運を支配した豪族の墳墓ではないかと考えられています。
★奈良ソムリエ検定テキスト掲載古墳
【参考文献】
・島の山古墳調査概報(橿原考古学研究所)
・ヤマト王権と葛城氏(近つ飛鳥博物館)
・大和の古墳を語る(泉森皎氏ほか)
・大和の古墳Ⅰ 馬見丘陵の古墳(吉村公男氏)
・大和葛城の大古墳群 馬見古墳群(河上邦彦氏)
・大和国古墳墓取調書(野淵龍潜編)
・石の考古学(奥田尚氏)
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