二上山の北東麓から東に向かって派生した尾根の南斜面に築造され、当古墳の東100mには平野車塚古墳など数基が存在します。開口された時期は古く、元禄期の山陵図で既に現状の状態で描かれ、幕末までは顕宗天皇陵に治定されていました。埋葬施設は短い羨道を持つ横口式石槨で、二上山の凝灰岩切石で横口式石槨は朝鮮半島に由来を持つ墓制で、最初に造られたのがこの平野塚穴山古墳で、後につくられる高松塚古墳やキトラ古墳などのモデルになったともいえる古墳です。
★所在地:香芝市平野
★墳形:方墳(一辺18m、高さ約4m)南斜面に作られ版築で築成されています。南に開口
★埋葬施設:横口式石槨(全長4.47m、玄室長3.05m、幅1.5m、高さ1.76m)凝灰岩の切石でつくられ石槨部は側壁を2石、奥壁を1石で構築し、床面は摶状 に加工した方形の切石を敷詰めるなど大変精巧につくられ、壁面に漆喰が塗られ今も部分的に残っています。
★棺:漆塗籠棺と夾紵棺の両者を組合わせてつくられたものと考えられています。
★出土遺物:夾紵片、漆塗籠棺片、金環、中空玉、銅製品片、歯牙、小骨片等
★築造年代:7世紀後半
★発掘調査:1972年
★被葬者:斉明天皇の父、茅淳王?(江戸時代には顕宗天皇陵として治定)
★奈良ソムリエ検定テキスト掲載古墳
【参考文献】
・竜田御坊山古墳 奈良県史跡名勝天然記念物調査報告書第32冊(橿原考古学研究所)
・ヤマト王権と葛城氏(近つ飛鳥博物館)
・大和の古墳を語る(泉森皎氏)
・阿武山古墳と牽牛子塚(高槻市立今城塚古代歴史館)
・平野塚穴山古墳の謎(塚口義信氏)
行き方