三宅古墳群は盆地中央の低湿地帯に群在する古墳群で旧三宅村を中心に分布しています。原形を留める古墳は、ほとんどなくこのアンノ山古墳も元々、前方後円墳ですが現状は墳丘が大幅に改変されています。出土遺物も不明で築造年代を推定する材料がありませんが、この地域は倭屯倉(ヤマトミヤケ)と呼ばれた大和政権の直轄地で、垂仁朝や景行朝に、大王自らが設置したと記・紀にも伝えられています。倭屯倉はこのあたりの微高地に蔵としての屯倉を置き、周辺の低湿地を開発して田地としたと考えられています。三宅古墳群の特徴は周濠を持つ前方後円墳が多い事に加えその規模がいずれも40~60mの規模で5世紀代を中心に、6世紀初頭に集中しているのが特徴です。これらの事より三宅古墳群の他の前方後円墳の被葬者と同様、この古墳の被葬者も中央から派遣された管理者の可能性が高く、築造年代も5世紀代から6世紀初頭の可能性があると個人的見解ですが考えています。
★所在地:磯城郡三宅町伴堂
★墳形:前方部を東南方向に向けた前方後円墳(現存の墳丘の全長約40.5m、後円部径約20m、前方幅22m)ですが、封土は現状、水田面より1.5mが残っていますが、くびれ部は明確にはわかりません。畔(あぜ)などの痕跡より、元々10m前後の周濠があったと思われます。
★埋葬施設:不明
★出土遺物:周濠から6世紀中頃の須恵器の破片
★築造年代:6世紀中頃~後半
★発掘調査:2019年1月に規模確認の調査
★被葬者:不明
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