ののくま
石室構造が奈良盆地内で見られる「畿内型」と紀ノ川下流域で見られる「岩橋・いわせ」型、双方の特徴を持つ珍しい折衷型の古墳です。 現在、石室は地下収蔵庫のような感じで、蓋が施錠され残念ながら見ることができません。墳丘の残土状のものが、わずかに古墳としての名残をとどめていますが、解説板がなければ気が付かないかと思います。(確認しましたが残土は元々の墳丘のものではないようです)1955年頃下市町史編さんに伴い、郷土史家の菊田仁郎氏の努力で古墳の存在が明らかになり、当初は阿知賀古墳と呼ばれていました。その後同じ地域で岡峯古墳が見つかり,2001年の調査を機に小字名から野々熊古墳と命名されました。こういう状態なので見応えはありませんが,周辺の岡峯古墳や吉野川対岸の槇ヶ峯古墳などを巡りながら、この地域の古墳文化に思いをめぐらすのもいいかと思います。できれば、折角発掘調査もされ、吉野川流域の古代文化を知る上で欠かせない素晴らしい古墳ですので、年に1回でも町民や、古代史を愛する人たちに、せめて扉から覗くように配慮して頂くだけでも、遺跡保護や郷土愛も深まるのではと思うのですが・・・
おすすめ度(☆1.0)
★所在地:下市町阿知賀字野々熊
★墳形:? 吉野川を望む山塊の北斜面に派生した尾根の突端に位置する。大規模な屋敷地の造成で墳丘上面が完全に削平されている。吉野川上流域の東限に存在する古墳。南に開口。
★石室:吉野川流域の緑泥片岩を使った両袖式横穴式石室。玄室から羨道部にかけては一面に玉砂利が敷き詰められている。 (全長7.38m、玄室長3.15m、幅1.9m、高さ2.33m、羨道長4.23m、幅1.15~1.32m、高さ1.54m
★棺:不明(木棺か?)
★出土遺物:徹底的に盗掘を受け床面付近から若干量の須恵器片、瓦片が出土したのみ
★築造年代:6世紀末~7世紀初頭
★発掘調査:2001年2月~3月 橿原考古学研究所
★下市町指定史跡
上記の石室内の 写真は、2015年2月に開催された「しもいち・おおよど古代史展」の展示写真より引用。
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