つきやま
巣山古墳と共に馬見古墳群、南群の中核をなす大型の前方後円墳です。周辺には狐井塚古墳、茶臼山古墳、コンピラ山古墳等、築山古墳の陪冢の可能性がある古墳があります。磐園(いわぞの)陵墓参考地となっており立ち入る事は出来ませんが、満々と水をたたえた周濠に浮かぶ姿は見応え十分です。周囲の古墳も合わせて見学するといいでしょう。特にコンピラ山古墳は径95mの県下最大級の円墳です。
おすすめ度(☆4.5)
★所在地:大和高田市築山
★墳形:前方後円墳、全長220m(周濠を含めた全長は240m以上と馬見古墳群では最大クラス)後円部径120m、前方部幅105m。前方部を東に向ける。墳丘は前方部3段、後円部4段築成。幅約30mの盾形の周濠が巡り、前方部の南東から南にかけて二重濠の痕跡らしき地形も見られます。周辺にコンピラ山古墳、茶臼山古墳、かん山古墳の大型円墳3基が分布していますが関係は不明。
★埋葬施設:不明。この古墳との関連は不明ですが、築山古墳のすぐ南の集落にある石棺仏は、断面がかまぼこ形になる退化形態の長持形石棺の蓋石で、この古墳周辺から持ち出された可能性が高いと考えられています。
★出土遺物:円筒埴輪、朝顔形埴輪、壷形埴輪の破片
★築造年代:4世紀後半(出土した埴輪より)
★発掘調査:1996年に北側の墳丘裾と外堤部、1999年に南側墳丘裾部の調査が宮内庁書陵部で行われ、南側のくびれ部、付近で造出部が検出されたほか、前方部北側の周濠が今よりも広かった事がわかり、墳丘規模も葺石の残り具合から従来の209mから220mに見直されました。また16世紀後半に城郭として利用された可能性もわかっています。出土品としては鰭付き円筒埴輪、朝顔形埴輪、壷形埴輪の破片等数百点が検出されています。
★被葬者:不明 。江戸時代には武烈天皇や皇極、孝徳天皇の父の茅渟王、近代では顕宗天皇の候補地として御陵墓伝説地となったが、特定されず現在は「磐園陵墓参考地」となっています。
★奈良ソムリエ検定テキスト掲載古墳
【参考文献】
・ヤマト王権と葛城氏(近つ飛鳥博物館)
・天皇陵古墳を歩く(今尾文昭氏)
・馬見丘陵の古墳(河合町教育委員会ほか)
・大和の古墳Ⅰ 馬見丘陵の古墳(吉村公男氏)
・大和葛城の大古墳群 馬見古墳群(河上邦彦氏)
・石の考古学(奥田尚氏)
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