日本書紀によると、坂合黒彦皇子の父は倭の五王の「済」に当たるとされる允恭天皇で、坂合黒彦皇子は皇位継承をめぐる争いで、安康天皇を殺害した眉輪王と共に葛城の首長の円大臣宅へ逃げいるも円大臣、眉輪王ともども弟の大泊瀬皇子(後の雄略天皇)に焼き殺されに側近者といっしょに合新漢槻本南丘に合葬されたとあります。現在、宮内庁の管理する「坂合黒彦皇子墓」は、安政年間(1854~1859)に今木地区小字ジヲウの地に比定されたものです。
★所在地:吉野郡大淀町今木字ジヲ。南に開けた丘陵斜面に築かれてた「山寄せ」の古墳。周辺の山麓には20基前後の経10m前後の古墳が点在します。
★墳形:円墳?(径14.8m)
★埋葬施設:不明
★出土遺物:不明
★築造年代:不明(立地条件などから7世紀代の可能性が考えられますが、そうだとすれば被葬者の没年とは合わないことになります)
★発掘調査:不明
★被葬者:不明
【参考文献】
・吉野郡内の横穴式石室ぼ墓(大淀町教育委員会)
・大淀町文化財調査報告(平成19~22年度) 大淀町教育委員会
・天皇陵古墳を歩く(今尾文昭氏)